柚木、春樹さんに会いに行く その3


始めにお断り。柚木は当日、ただただお話に耳を傾けていただけで、全くメモをとっていません(隣の席の人はかなり熱心にノートをとっていたけど)。もちろん録音もしてないです(禁止されていた)。なので、これから書くことは柚木のあまり頼りにならない記憶と、後からニュースなどで補足した知識とを元にしています。もし間違いがあったら、(責任はとれないけれど)大変申し訳なく思います。

                                                  • -

もしあなたが実際にイリオモテヤマネコであるところの村上春樹運良く遭遇し、話を聴くことが出来たとしても、長年のファンならそれほど耳新しいことはないかもしれない。春樹さんの低くてよく響くセクシーな声も、ちょっと気取ったように感じられる話し方も、たぶん既に耳にしたことがあると思うので。
毎朝早起きして午前中に小説を書く。BGMはクラッシック音楽。年に一度はフルマラソンを走り、今でもまだトライアスロンに参加している。
人に発見されて声をかけられるのは苦手。今回も京都滞在中にがんこ寿司(たぶん三条通の)の前で呼び込みをしている女の子に「村上さん、こんなところで何をしてるんですか?」と声をかけられてしまった。話している内に、ついふらふらと中に入ってお寿司を食べることになった。−−本当はお蕎麦食べたかったのに。
人前に出ることが少ないお陰で比較的顔は知られていないから、うまく逃げ切れるときももちろんある。
免許の更新の時はセンターの女の人にしげしげと顔を見ながら「別人ですよね?」と訊かれた。「そうです。ほんと迷惑してるんです」なんて答える。そういうことがあるとすごくにこにこしてしまう。家の近くをジョギングしている時に、二人組のおじさんに「この辺に村上なんとかって小説家の家があるって聞いて探しにきたんだけど、知らない?」と訊かれて、「さぁ? 知りませんねー」と答えて走って逃げた。テレビに出ていないと、走って逃げることだって出来るのだ。でも、わざわざ探しにくるくらいなら、名前くらいはちゃんと覚えていて欲しかった。まぁ、そりゃそうですよね。
初めて小説を書こうと思った、あの神宮球場には、今でも時々通っているらしい。春樹さんに遇いたければ、ライトスタンドの後方でビールを飲んでいる人を探せばいい。ホームでホームチームを応援するのが好きなんだそうです。
好きな日本人作家は、谷崎、漱石吉行淳之介。文章の上手い人が好き。逆に苦手な作家、どうしても合わないと思う作家は、三島と川端。みなさんYouTubeにアップしないでね、とのことですが、ニュースにもなっていたし、ここにこっそり書いておきます。
まだあと少し続く。

柚木、春樹さんに会いにいく その2

春樹さんは落ち着いたオレンジ色のパンツに、紺と白 のチェック柄の半袖シャツを羽織って颯爽と壇上に 現れました。ぴったりとしたパンツの下に、鍛えら れた太ももが浮かんでいます。髪も黒くたっぷりと あり、この十年の間に少しも年を取っていないよう に見えました。荒木飛呂彦の吸血鬼的人外の若さで はないにしろ、なかなか驚異的です。 当日春樹さんが話した内容はテレビでもネットでも かなりニュースになっていました。中でも比較的よ くまとまっているなと思ったものを、ひとつだけ備 忘のため貼り付けておきます。外に付け加えるべき ことはそれほど多くないのだけれど、柚木のメモは また次回に。

 ▽冒頭の講演

 僕は普段はあまり人前に出ません。ごく普通の生活を送っている普通の人間です。文章を書くのが仕事なので、なるべくそれ以外のことに首を突っ込みたくない。だから僕のことは絶滅危惧種の動物、イリオモテヤマネコみたいなものだと思ってくれるとありがたい。そばに寄って触ったりしないでください。おびえて、かみついたりするかもしれないので。

 河合隼雄先生とは20年ぐらい前に米プリンストン大で初めてお会いし、その後あちこちで時間を一緒に過ごした。僕にとっては「河合先生」で、最後までそのスタンスは変わらなかった。小説家と心理療法家というコスチュームを脱ぐことはなく、そういう枠があった方が率直に話ができた。

 今でも覚えているのは、先生の駄じゃれ。一種の悪魔払いのようなものだと思っていた。臨床家としてクライアントと向き合い、相手の魂の暗い場所におりていく作業を日々されていた。それは往々にして危険を伴う。帰り道が分からなくなるかもしれない。そういう暗い場所で、糸くずのように体に絡みついてくる闇の気配を振り払うには、くだらない駄じゃれを口にしなければならなかったのではないか。

 僕の場合の悪魔払いは、毎日外に出て走ること。それで、絡みついてきた闇の気配をふるい落としてきた気がする。

 われわれが共有していたのは物語でいうコンセプトだったと思う。物語というのは人の魂の奥底にある。人の心の一番深い場所にあるから、人と人とを根元でつなぎあわせることができる。僕は小説を書くときにそういう深い場所におりていき、河合先生もクライアントと向かい合うときに深い場所におりていく。そういうことを犬と犬がにおいで分かり合うように、分かり合っていたのではないか。僕がそういう深い共感を抱くことができた相手は河合先生しかいませんでした。それが励ましになり、僕がやってきたことが間違っていなかったと実感できた。

 ▽インタビュー

 <人間とは。物語とは>

 魂を2階、1階、地下1階、地下2階に分けて考えている。地下1階だけでは、人を引きつけるものは書けないんじゃないか。(ジャズピアニストの)セロニアス・モンクは深いユニークな音を出す。人の魂に響くのは、自分で下に行く通路を見つけたから。本当に何かをつくりたいと思えば、もっと下まで行くしかない。

 <初期作品について>

 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」などは、店をやりながら書いたので、まとまった物語を書く余裕がなかった。それが新鮮だと評価されたが、僕は先に行かなければならないと思った。村上龍さんの「コインロッカー・ベイビーズ」を読み、こういう書き方をしたいと思い、店をやめた。一日好きなときに書けるのがうれしく、物語を書く喜びにつながった。結末が分からないまま最初の何ページかを書き、うまくできたので、僕はそういうのに向いているのだなと思った。

 <「ねじまき鳥クロニクル」について>

 それまではただ楽しみながら書いていたが、「ねじまき鳥」はもっと世界を広げ、分散させ、分割させる試みだった。記憶、日記、いろんなものをかみ合わせ、重層的な世界をつくろうとした。

 <小説家の仕事>

 (徐々に)魂のネットワークのようなものをつくりたい気持ちが出てきた。みんな自分が主人公の複雑な物語を、魂の中に持っている。それを本当の物語にするには、相対化する必要がある。小説家がやるのは、そのモデルを提供することだ。

 誰かが僕の本に共感すると、僕の物語と「あなた」の物語が呼応し、心が共鳴するとネットワークができてくる。僕はそれが物語の力だと思う。

 <読書体験>

 10代は19世紀小説ばかり読んでいた。ドストエフスキートルストイディケンズバルザック。体に染み込んでいる。物語はなくてはならないものです。1950〜70年代、物語小説は差別され、物語というだけでばかにされた。僕は(夏目)漱石のファンだが、漱石も昔は評価が低かった。僕も最初のころはずいぶん批判が多かったが、いつも買ってくれる人がいた。それがずっと続き、ありがたい。

 <新作「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」について>

 「ノルウェイの森」のときは純粋なリアリズム小説を書こうと思った。一度書いておかないと、ひとつ上にいけないと思った。自分では実験的だと書いたものがベストセラーになったのは、うれしかったが、ある種のプレッシャーになった。

 前作「1Q84」での大きな意味は、全部三人称で書いたこと。三人称はどこにでも行けるし、誰にでも会える。ドストエフスキーの「悪霊」のような総合小説を書きたかった。(「多崎つくる」は)僕の感覚としては、頭と意識が別々に動いている話。今回は「1Q84」に比べ、文学的後退だと思う人がいるかもしれないが、僕にとっては新しい試みです。

 出来事を追うのではなく、意識の流れの中に出来事を置いていく。(多崎の恋人の)沙羅(さら)さんが、つくるくん(過去と向き合うため)に名古屋に行きなさいと言うが、同じように僕に書きなさいと言う。彼女が僕も導いている。導かれ何かを体験することで、より自分が強く大きくなっていく感覚がある。読む人の中でもそういう感覚があればいいなと思う。

 今回は生身の人間に対する興味がすごく出てきて、ずっと考えているうちに、(登場人物たちが)勝手に動きだしていった。人間と人間のつながりに、強い関心と共感を持つようになった。

 (多崎は友人4人との共同体から切り捨てられるが)僕も似たような経験をしたことはあるし、何が人の心を傷つけるのかはだいたい分かる。人はそういう傷を受けて、心をふさいで、時間がたつと少し開いて、ひとつ上に行くことを繰り返しながら成長する。ひとつの成長物語なんです。

 僕は自分の小説を読み返して、涙を流すことはない。唯一泣いてしまうのは、小説ではないが(地下鉄サリン事件の被害者や遺族を取材した)「アンダーグラウンド」。殺された方の20代の奥さまの話を聞き、家を出て、電車に乗っている時に涙が出た。1時間ぐらい止まらなかった。

 それが、違う話を書いている時にもよみがえってくる。あの本を書いたことは、僕にとって大きな体験だった。

 小説を書き始めた29、30歳のころは、書きたいけど書けないことがいっぱいあった。書けることを少しずつ増やし、だいたい書きたいことが書けると思えたのは2000年ぐらい。(今作も)単純に書けるようになったから、書こうと思ったのかもしれない。

 <音楽について>

 朝早く起きて午前中に仕事をし、昼は翻訳をするが、朝はだいたいクラシックを聴く。夜寝る前に、翌朝に聴くレコードを用意するんです。遠足に行く子供のように。

 仕事に集中しているので真剣には聴いていないが、音楽に励まされて書いている気がする。20代のころは店をやり、朝から晩までジャズを聴いた。自分の中にリズムが染み込んでいる。文章もそのリズムを使って書く。

 僕の本を読んで泣きましたと言う人がときどきいるけど、僕は笑いが止まらなかったと言われる方がうれしい。悲しみは個人的なところに密接につながっているが、笑いは関係ない。やっぱりユーモアの感覚が好き。書くときはなるべくユーモアをちりばめたい。

 ▽事前に寄せられた質問への回答

 <ランニングについて>

 年を取ると体力が落ちる。若いころは少しでも速く走りたかったが、今は年をとっても走れるようにしたい。80歳、85歳までフルマラソンを走れればいいなと思う。

 <子供のころの読書について>

 小3まで本を読まず、小4から急に読み出した。父と母が国文学をやっていたので、僕はそれから逃げたくて、外国の文学ばかり読んだ。大学に入ってから日本文学も読んだ。漱石、谷崎(潤一郎)…。文章のうまい人が好き。

 <翻訳について>

 翻訳しやすい小説と、難しい小説がある。物語が強いと翻訳しやすい。濃密な描写があると難しい。

 <最後に>

 本当にうれしいのは、待って買ってくれる読者がいること。「今回はつまらない、がっかりした。次も買います」みたいな人が大好きです。つまらないと思ってもらってもけっこう。僕自身は一生懸命書いているが、好みに合わないことはもちろんある。ただ、理解してほしいのは、本当に手抜きなしに書いている。もし今回の小説が合わないとしても、村上は一生懸命やっていると考えてもらえるとすごくうれしい。

 [2013年5月6日23時58分]nikkansport.com

柚木、春樹さんに会いにいく その1

ゴールデンウィークの最終日、お休み終了カウントダウンの憂鬱を抱えつつ、柚木は春樹さんに会いにいきました。
オカダさんのブログで(正確にはコメント欄で)講演のことを知った瞬間、「あの! 日本国内ではほとんど公開の場に姿を現してくれない春樹さんが! しかもしかも京都で!(まさに定期圏内!)」という驚きに、心臓が高鳴りました。春樹さんに会うのに、これ以上の機会は考えられません。運命に違いないのです。不思議と抽選に外れるような気はあまりしませんでした。肌がピリピリするような興奮の波が去ると、……これって河合隼雄先生のためだからだよね、と素直に納得できました。春樹さんが人前に姿を見せるのに、これ以上しっくりくる理由はないな、と。
当日は午後1時過ぎに家を出て、2時過ぎには会場に到着しました。ゴールデンウィーク前半の寒さが嘘のようによく晴れて気持ちのいい日です。時計台前の楠が陽を受けて、若緑にぴかぴか輝いています。その周辺で報道陣らしき人たちが会場に集まってくる人たちを次々と呼び止めていました。時計台の中に入り、受付でチケットの半券をちぎって貰うと、一斉にカメラのフラッシュがたかれます。開場して間もないせいか、参加者ひとりひとりを撮影しているようでした。メディアの熱心な取材が辺りの空気を張りつめたものに変えて、非日常の世界に足を踏み入れた気がしました。前日の夜から、柚木は春樹さんと直接顔をあわせるわけでもないのに変に緊張していたのですが、それでかえってリラックスした気分になりました。
夜からのニュースで、日本での講演は実に18年ぶり、(公式発表はないので正しいのかは分からないけれど)1万通近い応募があったなどと目にして、その中の500人に選ばれたのは実はとてつもなくラッキーだったのだと知りました。席が後ろの方だし、メガネの度が合ってないからしっかり見えないよ、などと文句を垂れている場合じゃなかったのです。外れた父に「運が悪いなー」と思ったり、インタビューで「(当選したのは)今年の運を使い果たしたと思います」って答えてた女の人に、それはちょっと大げさでは、と思っていた自分がバカでした。飛行機や新幹線に乗って駆けつけた人もかなり多かったようです。定期券使ってふらふら参加している場合じゃないのです。トイレ休憩なしの2時間半と聞いて、ちょっと長い? 明日も仕事だし、トイレ大丈夫かなーと一瞬思ったことも内緒です。無知って最強に罪です。

保護者会に行って来ました

touko_yuzu2013-03-25

柚木の息子さんは、高校生です。今年は2年生になるのです。タイムフライズです。わたしはもちろん劣化するばかり、もはや劇的な成長やらとは無縁なので、息子さんの日常の濃密さには圧倒されるばかりです。
息子さんの高校は『大学受験頑張っちゃうからね!!』な学校で、朝からテストがあったり宿題がやまもり出たり、なかなかハードな感じのところです。親の(柚木の)勧めで渋々決めたせいか、息子さんには勉学に対する気概なんてものは少しもありません。定期テストなんて、150 名くらいいる中でワースト5位内が定位置なわけです。本人それをちっとも気にしていないあたり、なかなか大物やもしれません。いや、ぜひともそうあって欲しい。そんな彼も最近ようやく、暑苦しい 担任の熱意にやられたのか、やる気の片鱗を見せ始めました。実に喜ばしいことです。
先日の土曜日は、最後の保護者懇談会でし た 。11時から保護者有志のランチ会があって、13時半から懇談会、終了後16時過ぎまで担任を囲んでの懇談が続きました。現担任はかなりの変人ですが、クラスのみんなに愛されている摩可不思議な人です。親がひとりずつコメントを言う機会があったのですが、みんな判で押したように「うちの子は先生が大好きで、今のクラスも大好きで・・・」と言うわけです。そんなのって、幸せすぎますよね。

春めいてきましたね

touko_yuzu2013-03-19

またしてもずいぶんご無沙汰いたしました。つい先日、世間様から遅れること数年、ようやく柚木もスマホなる機器を入手しまして(でもガラケーと2個持ち)、これからはこれを駆使してブログをつらつら書き連ねる決意であります!! 今度こそはなのです!
書き出すとつい長くなる傾向が、更新を滞らせる主因であるのは明らかなので、なるべく写真などを載せて短めに行こうと思います。
さて、写真はうちの玄関にいるリサ・ラーソンの猫と、いただきもののプリザーブドフラワー。ピンク主体のガーリーな飾りは、正直自分では選ばないですね。自分で選んだらもう少しシンプルなのにする。でも、朝夕見るたびに気分が明るくなります。いただきものって「自分の好みにドストライク!」なことはほとんどないんだけれど、それでもなお、送ってくれた人がお金と、時間と、気持ちを自分に傾けてくれたことを思って幸せな気持ちにしてくれます。わたしって意外と愛されてるよねー、と勝手ににまにましちゃう訳です。柚木は貧乏だし、たいしてお返しを期待できる相手ではないので、素直に相手の好意を信じることができるのです。持たざる者のひとつの幸福です。
幸福といえば、これほどかけ離れたストーリーもないかもしれないけれど、最近父の薦めで読んだ石田衣良の「北斗」が秀逸でした。実はテレビのイメージから石田さんの本って今まで手に取ったことがなかったんだけど、心にずんとくる話でした。先に読んだ帯カバーのあらすじがほぼ全てだったにもかかわらず(書き過ぎでしょ!)、朝方までかけて一息に読んじゃいました。筋書きを知っていても損なわれないって、結構貴重です。重くてもよければ、ぜひ。

北斗 ある殺人者の回心

北斗 ある殺人者の回心

節電の夏

しばらく曇りがちな日が続いて、このまま秋風が吹けばなぁと、甘い夢を見たのも昨日までのこと。今日はかんかん照りの一日です。だけどこんな朝から暑い日は、出勤時にちゃんとクーラーが効いているので意外と快適だったりする。28℃厳守(ガスヒーポンなのに)なので時々暑いけれど、膝掛けが不要なのは有り難い。
電力不足の大喧伝のお陰で、いくつかはいいことがあった。まず、サウナに住んでいるような真夏の京都で、黒いジャケットを着込んで粒々と汗を流すおじさんを見かけなくなったこと。電車とバスの冷房が、半袖でも寒く感じなくなったこと。関電の『原子力発電はCO2を出さないんだぁ』という、癇に障るCMが流れなくなったこと。これは逆に、今はちょっと見てみたい気もするけど。
それから、大学で夏季一斉休暇(お盆休み)期間が創設されたのはとてもラッキーだった。各自エアコンを効かせておうちで過ごす休日が、関電エリア内にどの程度の節電効果をもたらすのかは未知数だけど、そんなのは個人の幸福の前には取るに足らないことのように思えるから不思議だ。

雨の七夕ですね

touko_yuzu2011-07-07

本格的に新居に暮らし始めて1ヶ月以上が過ぎました。やや夏バテ気味ではあるものの、梅雨のジメジメにも節電の暑さにも負けず、結構元気に暮らしています。
まだ実家に多量の荷物を残しているせいか、家具が揃いきっていないせいか(先月末にようやくダイニングテーブルが届いた)、空間に余裕があって新生活はとても快適。今まで母と交代で作っていた夜ご飯作りが毎日になったのも、正直想像していたほどは苦痛じゃない。息子は部活を引退するまで実家暮らしだから、今はとても寂しいのだけれど、反面家は汚れないしお弁当作りに悩むこともない。最近仕事も定時上がりだし、気ままで楽チンである。
家に足りない物を考えて少しずつ買いそろえていくのは、経済的苦難を除けば(除くにはあまりに大きな問題だけど)ほとんど趣味の領域にある。インテリアセンスがやや欠如しているのは痛いけれど、それでもまぁそれなりにまだまとまりを保っている。
次こそは、リビングの時計を買わねば!