鞍馬天狗に会いに行った話 その1

6月末の日曜日、両親と旦那さんと4人で鞍馬へ山歩きへ。富士山トレーニングの一環です。息子は受験生なのでお留守番。
叡山電車鞍馬駅近くに車を止め、駅前の巨大天狗を写真に残し鞍馬寺に向かう。愛山料200円なり。

山頂の本殿にお参りし、貴船神社の方へと下っていく。参拝道だけあって山道としてはとてもよく整備されている。鞍馬から山頂まではケーブルで登ることだってできる。サンダルですたすた歩いている観光客の姿も多く見かけたけれど、ピンヒールだけはやっぱりまずい。足は靴擦れだらけになるだろうし、ぴかぴかのヒールだって傷だらけになる。きれいな格好をした女の子の集団のひとりが途中でしゃがみ込みそうになっていたけれど、誰かに背負ってもらうか裸足で歩くか、あまり有効な選択肢はない。彼女たちを追い抜いてからも、山道はまだずっと先まで続いていた。とても気の毒だと思ったけれど、山寺とふつうのお寺は違うんだってことを、もう少し下調べしておく必要があったんだと思う。
しかし、人のことは全く言えないのだった。
参道を歩き終え、川床で賑わう貴船神社周辺を抜けると、人影が急に途絶えた。貴船山登山口に到着。滝谷峠を越えて、二ノ瀬駅へと下るルート。まだ新しい標識に既に不吉な兆候はしっかりと現れていたのだけれど、その時はまぁ危険そうなら引き帰せばいいやと簡単に考える。皆さん、赤テープに手書きで「キケン要注意」などと書かれている場合、それなりに重く受け止めた方がよろしいかと思います。
登り口からすぐのところで、山登りのベテランらしきおばさま二人組みとすれ違い、この先の道がどの程度危険なのかを尋ねてみる。「道が少し崩れていたり、ロープが張ってあるところがあるけれど……。まぁ頑張ってください」との暖かいお言葉をいただく。なるほど、危険とはいえ我われにも通れそうだということだ。お二人の言葉に力を得て、「いざダメとなったら引き返せばいいね」と先に進んだ。
なだらかで開けた明るい道は、しかしながらすぐに終わってしまった。道は急激に荒れ始める。チェーンソーで切り出した木々が何故かそのまま進路に放り出されている。緑深く苔むした倒木は、長い間人の手が入っていないことを感じさせる。木は鬱蒼と茂り、厚い黒雲から時折雨が落ちてくる。地面にのめり込んだ赤い小さな杭だけが、ここが正しい進路だと信じさせてくれる。「道が少し崩れている」というのを、はじめ「全行程のごく一部が崩れている」と理解したのだけれど、それは幸せな勘違いであった。道はあらゆる場所で少しずつ崩れており、ロープが張られた箇所も次々に現れる。
どうにもこうにも心細い。途中、首からカメラを提げた大学生くらいの男の子がひとり、怖い顔をして降りてきた。「こんにちは」と声をかけても無言である。ぬかるんだ道に足元をとられ、眉根を寄せた彼とすれ違う。ハーフパンツにクロックスのサンダルを履いている。被写体を求めてつい入り込んだのかもしれないけれど、良い写真も思い出も手に入らなかったに違いない。
その後は誰ともすれ違わなかった。