富士山に登った話

富士登山について語ることはそれほど多くない。上り始めの天気は最悪で、去年登頂している弟は「もう中止でもいいんじゃないの」というスタンスだった。天気の回復も見込めない。でも我われは初めてなのである。登山用具一式レンタルし、前後泊に当日の山小屋の予約だってばっちりなのである。そう簡単には諦められない。
協力金を支払い、缶バッチを胸に登山開始。視界は一面、白に覆われている。横殴りの風が霙混じりの雨を叩きつける。猛吹雪の中を登山しているようで、冒険気分はいやがおうにも高まっていく。「上は雹が降っていた」と震えながら降りてくる下山者たちとすれ違う。テレビで見た行列はなく(あれは一番人気の吉田口の話)、視界が利かないせいでむしろ孤独を感じるくらいだ。ただ低山と違い、視界はなくても道迷いの危険はない。
800円の高級富士宮焼きそばを食べ、酸素缶を吸い、たくさんの人に抜かされながらじりじりと上った。宿泊先はは9合目である。到着した時はちょうど晴れていた。雲海に富士山の影が映っている。雲が切れる瞬間、下界までクリアに見通すことができる。写真やテレビの画面に切り取られる前の、雄大な景色が眼前に広がっている。
宿に到着して2時間後、土砂降りになった。まだ日暮れ前で、山小屋にはまだぞくぞく宿泊客が押し寄せてくる。ひとり半畳もない就寝スペースの壁面にずぶ濡れのザックやレインウェアを架けて寝る必要がなかっただけ、わたしたちはずいぶんラッキーだったのだ。
まったく眠れないと噂の山小屋で、わたしたち家族はしっかり眠った。夜中の2時頃出発しようとするが、外は雨が降っている。朝食用のお弁当を受け取り、さぁ出発というところで母が難色を示した。どうやら雨では外でお弁当が食べれないと不満らしい。こうなると母は動かない。仕方なく山小屋で朝食用のお弁当を食べ、午前3時前に再度出発。雨はさらにひどくなっている。ヘッドライトの明かりだけを頼りに、暗闇の中に飛び出した。ヘッドライトと弟の持つハンドライトの光で、思ったよりも視界は利く。雨が止む気配もなく、風はどんどん吹きつけてくる。ご来光を目指す人々に次々追い抜かれ、時間はどんどん過ぎていく。もうとてもご来光を望めるような状態ではない。
九合五勺の山小屋の前で、ついに父がギブアップした。これまでも酸素缶を手放さなかった父が、高山病でもうこの先へは進めないという。結構元気そうに見えるのだけれど、それはまぁ自己申告なので無理強いはできない。山小屋の中で休もうにも「高山病なら動けるうちに下山した方がいい」と当たり前の理屈で追い払われてしまった。夜が明けるまでにはまだ時間がある。雨風の吹きつける暗闇の中、人の波に逆らって下山するのは危険である。特に母は膝が悪く、下りにひどく時間がかかる。
短い話し合いの結果、弟は父に付き添って下山、母とわたしたち夫婦とは引き続き登頂を目指すこととなった。折りよくツアーの団体が「この先は風もさらに強く危険なので」と、ガイドの指示により下山を始めた。父と弟はツアー客の一員のように最後尾について降り始めた。
ツアーガイドが駄目と判断したものを登り続けてよいものか。しかも母を連れて。悩むところではあった(実際はツアー参加者の中に高山病の人がいたのが下山を決めた直接的な原因だったようだ)けれど、夜明けまでじっと留まっているのも寒くて辛い。じりじりと上を目指して進むことにした。闇が少しずつ薄まり、ぼんやりとあたりの様子が見え始める。相変わらず強風にあおられた雨粒が体中を叩いている。
父と別れてまもなく、頂上へはあっけなくたどり着いた。夜明けの時間は近いはずだけれど、太陽がどこから昇るのかはっきりしない。風に流れた歓声が時折聞こえるけれど、ご来光を拝めた人がいるとは思えない。お鉢巡りも剣ヶ峰への登頂も諦め、夜が明けきるまで山頂の山小屋で時間をつぶした。中にはゴミ袋を雨合羽にして震えている人もいる。天気は一向に回復しそうもない。富士山の奥宮でお守りをもらうことさえ頭に浮かなかった。大きな目的だったはずなのに。
昨日宿泊した山小屋で休んでいた父と弟に合流し、下山開始。相変わらず天候は優れない。下山はとても辛かった。登り以上に母のペースが落ちるからだ。富士登山の途中たくさんの人とすれ違ったけれど、うちの母より太った中高年の人には一度も出会わなかった。二度ほど大きく転倒し、母のリュックは弟が背負うことになった。下山目安が三十分のところを三時間かかった。疲れているので早く降りてしまいたいのだけれど、もちろんそういう訳にはいかない。
でも今思い返しても、富士山は楽しいところだった。高山病さえ心配しなくていいなら、また行きたいなと思う。御嶽山の悲惨な出来事があった後なので、ちょっと怖いとも思うのだけれど。

鞍馬天狗に会いに行った話 その2

薄暗い森の中をひたすら登り、滝谷峠にたどり着いた。まだ新しい標識が迎えてくれる他には展望もなく、もちろん人影もない。そこでふと、母の膝あたりを這い登る細長い土色の虫がいるのに気づいた。慌てて互いを確認すると、足元から忍び寄る不気味な姿がそこここに見つかる。心中激しく悲鳴を上げ、棒で叩き落し、でこピンのよろしく爪先で弾き飛ばした。こんな魑魅魍魎あふれる場所で、じっと休憩などしていられない。標識に従い、「二ノ瀬駅」方面へと下り始めた。
山道はところどころ崩れているものの、のぼりに比べれば(あるいは単に荒廃に慣れさせられたのか)、人の通る道であることがはっきりとしている分だけずいぶんマシである。途中、「キェーーーン」と鋭い悲鳴のような声がして、二頭の鹿が走り抜けるのを見た。ここは人ではなく獣の棲む場所なのだ。

人里に下り着いた時は、心底ほっとした。駐車場のある鞍馬駅まで歩いて上る元気はもはやない。小さな二ノ瀬駅のホームで叡電に乗り、今回の可愛い冒険は終了した。
しかしわたしにとってのメモリアルデイはここから始まる。2車両しかない小さな叡電の中で、首にまいていたタオルに血の跡を見つけた。てっきり首筋についた例の吸血生物を潰したのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。でもまぁもう血も止まっているし、そこまで気にするものでもない。鞍馬駅で下車し、他に人のいらい構内に座って汗拭きシートを使いながら、ふと自分のTシャツの首元を覗いてみた。何やら気になる影が見える、気がする。Tシャツの模様が映っているのかもしれないと、何度も内外を見比べてみるが、やはり違う。黒い影が胸の上に載っているのである。
大声を上げて立ち上がり、Tシャツを捲り上げて母親に駆け寄った。何かひんやりした物がお腹に触れた。悲鳴を上げてジタバタ喚くわたしに、
「何もついてないよ」
と母は言う。
背後で旦那さんが「落ちた」と、静かに床を指差している。
振り返って覗いたその指先には、ぷくぷくに太って、まるで巨大ナメクジのように膨らんだヤマビルの姿があった。そんなものがずっと首筋に張り付き、満腹してわたしの胸の上で眠っていたのだ。
娘の敵と、母はヒルを踏み潰した。どろりと血が流れる。何かの事件現場みたいだ。しばらく見ていると血だまりから5ミリほどの紐状の虫が這い出している。破裂しても、ヒルはまだ死なないのだ。
後に調べると、山で100匹近くのヒルに襲われたという話もあった。あの途中で引き返してきたハーフパンツにクロックスのサンダル姿の男の子も、きっとヒルの洗礼に出会っていたのだ。そうであればあの怒ったような表情も充分に納得できる。
ヤマビルというのはとても恐ろしいものです。毒性はないようですが、精神的にかなり参ります。みなさまどうぞお気をつけください。

鞍馬天狗に会いに行った話 その1

6月末の日曜日、両親と旦那さんと4人で鞍馬へ山歩きへ。富士山トレーニングの一環です。息子は受験生なのでお留守番。
叡山電車鞍馬駅近くに車を止め、駅前の巨大天狗を写真に残し鞍馬寺に向かう。愛山料200円なり。

山頂の本殿にお参りし、貴船神社の方へと下っていく。参拝道だけあって山道としてはとてもよく整備されている。鞍馬から山頂まではケーブルで登ることだってできる。サンダルですたすた歩いている観光客の姿も多く見かけたけれど、ピンヒールだけはやっぱりまずい。足は靴擦れだらけになるだろうし、ぴかぴかのヒールだって傷だらけになる。きれいな格好をした女の子の集団のひとりが途中でしゃがみ込みそうになっていたけれど、誰かに背負ってもらうか裸足で歩くか、あまり有効な選択肢はない。彼女たちを追い抜いてからも、山道はまだずっと先まで続いていた。とても気の毒だと思ったけれど、山寺とふつうのお寺は違うんだってことを、もう少し下調べしておく必要があったんだと思う。
しかし、人のことは全く言えないのだった。
参道を歩き終え、川床で賑わう貴船神社周辺を抜けると、人影が急に途絶えた。貴船山登山口に到着。滝谷峠を越えて、二ノ瀬駅へと下るルート。まだ新しい標識に既に不吉な兆候はしっかりと現れていたのだけれど、その時はまぁ危険そうなら引き帰せばいいやと簡単に考える。皆さん、赤テープに手書きで「キケン要注意」などと書かれている場合、それなりに重く受け止めた方がよろしいかと思います。
登り口からすぐのところで、山登りのベテランらしきおばさま二人組みとすれ違い、この先の道がどの程度危険なのかを尋ねてみる。「道が少し崩れていたり、ロープが張ってあるところがあるけれど……。まぁ頑張ってください」との暖かいお言葉をいただく。なるほど、危険とはいえ我われにも通れそうだということだ。お二人の言葉に力を得て、「いざダメとなったら引き返せばいいね」と先に進んだ。
なだらかで開けた明るい道は、しかしながらすぐに終わってしまった。道は急激に荒れ始める。チェーンソーで切り出した木々が何故かそのまま進路に放り出されている。緑深く苔むした倒木は、長い間人の手が入っていないことを感じさせる。木は鬱蒼と茂り、厚い黒雲から時折雨が落ちてくる。地面にのめり込んだ赤い小さな杭だけが、ここが正しい進路だと信じさせてくれる。「道が少し崩れている」というのを、はじめ「全行程のごく一部が崩れている」と理解したのだけれど、それは幸せな勘違いであった。道はあらゆる場所で少しずつ崩れており、ロープが張られた箇所も次々に現れる。
どうにもこうにも心細い。途中、首からカメラを提げた大学生くらいの男の子がひとり、怖い顔をして降りてきた。「こんにちは」と声をかけても無言である。ぬかるんだ道に足元をとられ、眉根を寄せた彼とすれ違う。ハーフパンツにクロックスのサンダルを履いている。被写体を求めてつい入り込んだのかもしれないけれど、良い写真も思い出も手に入らなかったに違いない。
その後は誰ともすれ違わなかった。

富士山に行くことにしたんです

夏も過ぎ、秋風が木枯らしに変わりそうな今日この頃、みなさまお元気にされていますでしょうか?
さて、地獄のような京都の夏もまだ遠い春のある日、家族で仲良く飲み明かしていた時のことです。夏の家族旅行は何処に行こうか、という話題になりました。去年は富士山を見に行った(ひとつ前のエントリーのとおり)。じゃあ今年は登ってみようか、ということになったのです。提案は、昨年登頂済みの弟くん。母のたっぷりとしたお腹を見つめながら「まぁ、健康になるしね」と呟いて、酔っ払い会議はあっさり決となりました。うーん、大丈夫なのか激しく不安。特に母。そしてもちろん自分も。
ガイドはつけない。でも富士山をなめるつもりは少しもない。ちゃんと準備をして、自分たちのペースでゆっくりゆっくり登るのだ。もちろん練習もしなくてはいけない。なのでゴールデンウィークからこっち、週末と母の休みが重なった日は、日々山歩きに出かけている。
まずは近所の醍醐山(標高450m)。幼き頃、遠足やらなんやら何度もお世話になったお山は、醍醐寺世界遺産になった(そんなことあったんですね)せいで、入山料600円が必要となった。しかもうっかり拝観料600円を先に払って中に入ってしまったため、山の登り口で別途入山料を徴収される羽目になった。ひとりにつき計1,200円の支出。母と旦那さんと3人行動なのでこれは痛い。昔は無料でどんどん入っていけたと思うのに、恨めしい話である。一瞬お山に登らずに帰ろうかと思った。他に2箇所有料ゾーンがあるので、みなさまご注意ください。

次に登ったのは大文字。前日終電を逃してしまった酔っ払いの父を連れて行く。子供も大人も大勢いて、すごい賑わいである。人にはどんどん抜かれていく。五山の送り火の日に、松明を置く灯床から市内が一望できる。ここまでは観光気分でぷらっと登れると思うので、結構おすすめです。
5月の末に母と東京に行った際もトレーニングの心は忘れず、毎朝新宿のホテルから明治神宮までウォーキング。明治神宮に一歩踏み入ると都心の喧騒はすっと遠のき、空気が凜と澄み渡る。神様がいらっしゃる場所に少し近づける気がする。東京なんて砂漠だ、コンクリートジャングルだ、と思っていてごめんなさい。東京はなかなか素敵で楽しいところでした。
6月以降もトレーニングは続く。大原をうろうろし、職場の人とふたりで六甲山に登り、家族で鞍馬寺に参り、比叡山で消耗し、愛宕山の緩く続く会談に筋肉痛になった。そして再びルートを変えて大文字へ。周辺で登る山を考えるのも結構疲れてきました。
中でも最も語りたいことがあるのは鞍馬山での出来事。長くなったので、その話はまた次回。

ビールとワインの家族旅行

もう11月ですが、夏に家族で旅行に行った時の思い出を少し。
家族旅行といっても、息子さんは勉強合宿のため不参加。これは意地悪ではなく、「家族旅行なんて行ってられるかよ」という高校生男子の心を酌んだ旅程なのです。柚木が宿を手配する以上、もちろんそれは貧乏旅行になる。だから新幹線とかには乗らないわけです、無論。柚木、だんなさん、両親、弟の計5人で、黒のインプレッサにぎゅっと乗り込み、2泊3日の旅へ出発しました。家族一番のちびっこである柚木の指定席は、後部座席の真ん中です。これはね、実際のところかなりしんどかった。インプレッサの後部中央はちょっとU字型に盛り上がっていて、お尻がきちんと納まってくれないのだ。山道をぐるぐる走ったあとは、お尻まで筋肉痛になった。ドライバーさんの苦労を思うと、あまり文句は言えないんだけれど。
今回の旅の目的は、「世界遺産に登録された富士山を眺める」である。あまりに近づくと混んでいそうだし、登るのは大変過ぎる。
観光のスタートは富士山の雪解け水が湧き出ているという忍野八海(オシノハッカイ)から。山梨県に入ってもあいにくの曇り空、富士山の中腹から上は厚い雲の向こうに隠れて少しも見えない。でも雨は降らないし、観光客もたくさんいて、気分もだんだん盛り上がってくる。
今回の旅の食事は、(飛騨高山の町で食べた夜ご飯を除けば)どれも大変に美味しかった。初日のお昼も、記憶に残る味だった。「シルバンズ」は地ビールが自慢のお店で、ビールと同じくらい食事が美味しい。ここでは日本では珍しい燻煙ビール「ラオホ」が飲める。鰹節のビール、とうちでは呼んでいる。
クセが強いのだけれど、不思議と食事に合うのだ。
そのままほろ酔い気分で鳴沢氷穴富岳風穴を体験する。この二つのトンネル式になった洞窟は、今から1130年以上前の貞観6年(864)富士山の側火山長尾山の噴火の際、古い寄生火山の間を灼熱に焼けた溶岩流(青木ヶ原丸尾)が流れ下ってできたそうだ。氷穴なんてまさに巨大遊園地の冒険アトラクションそのもの。続けて2周して、ちょっと息切れしてしまった。
二日目は朝から晴れ間も覗き、ホテルから富士山が頂上まできれいに見えた。写真で見慣れた姿とは違い、山頂に白く積もる雪はない。
雪がないと、ただの高くてちょっと雄大な普通の山みたいだ。でも本栖湖から「千円札の富士」も見たし、これで一応旅の第一の目的は達成である。
武田神社(御祭神は武田信玄公)を見学し、小さなワイナリーに移動。自分たちでパチパチ電気をつけながら勝手に内部を見学する。 柚木にはワインの知識は何もないけれど、心を込めて作っているのが伝わってくる素敵なワイナリーだった。試飲コーナーにも、わたしたちの他には数人の客しかいない。中に、リュックを背負って駅から40分かけて歩いてきたという男の人がいた。「わたし、こういう者ですが」とカウンター内の男性職員に名刺を差し出している。雑誌記者か何かと思ったら、どうやらブログを書く人らしい。クセのある言動に、ついつい耳目を惹かれてしまう。残念ながら、彼自身が思っているほどには、ワインに対する造詣は深くなさそうである。テイスティングの時に、グラスを机の上で高速回転させる姿はぜひ動画に残しておきたかった。格闘ゲームでボタンを連打する名人のような見事な回転だったのだ。きっと、たくさん練習したのだろうと思う。
別のワイナリーに寄りランチ。 その後一路、飛騨高山へ。(ここでの夜ご飯は高いだけではずれだったので、記憶から消去)夜は大浴場が自慢のホテルに宿泊。翌朝、千光寺の円空仏寺宝館に出かけた。円空仏が見れるというのに、ガイドブックには載っていない。ネットで検索してもあまり情報が得られない。これは怪しいところに違いない。しかも車で、どんどん山道を登っていかなければいけない。そんな訳で少しも気が進まなかったのだけれど、弟くんの粘りに負けて行くことになってしまったのだ。ところが実際行ってみると、ここは大変に素敵なところだった。(両面宿儺像リョウメンスクナゾウが特に気に入りました)ガイドブックに載っていないからって、怪しんではいけないのである。
高山の町はとてもこじんまりとしていて、くるっと半時間も歩くと観光は終了してしまう。何故か高山陣屋を熱心に見学したのだけれど、町並については(京都から来ているせいか)それほど見所があるようには思えなかった。ランチはメインストリートからはほんの少し外れたところにある「穂月」という店でとった。ここの食事は文句なしに美味しかったので、飛騨高山に御用がある方にはお薦めです。(というか、他にはあまりいい思い出はない)
旅行最後の締めは、世界遺産に登録されている白川郷
柚木が学生だった20年近く前には、まだ世界遺産登録を目指している段階で、しっとりと雨の振る午後に訪れたせいか観光客の姿もまばらで、遠い昔に忘れられた遊園地みたいにうら寂しい印象ばかりが残る場所だった。なのに、今では観光バス数十台、乗用車100台以上をも余裕で収容できる巨大駐車場が完備され、合掌造りの土産物屋やカフェが集落のあちこちに点在する一大観光スポットと化していた。日本人観光客だけでなく、台湾からの団体客なんかもぞろぞろ歩いている。あまりの変わりっぷりに、びっくりしてしまった。世界遺産に認定されるって、ほんと大事ですね。

カリン酒、梅酒、ヤマモモ酒

人事異動で4月に仕事内容が変わり、続けて6月に事務部再編成のためのお引越しがあり、ここ最近はなかなか定時に帰れない日が続いている。おばちゃんばかり6人の小部屋に押し込められ、気楽ではあるけ れど煮詰まってしまいそうな気鬱もある。前は自由気ままに仕事をして、掛の人間関係も良好で、とても楽しかったのだ。今も別に、大きな不満があるわけではないのだけれど。
時々、前の掛のおっちゃんが遊びに来てくれる。
「今から試験地にえぇもん拾いに行くぞ」
と仕事中に声をかけられ、徒歩3分の試験地にお邪魔した。試験地にはいろんな木や草が生えている。何 を「試験」しているのかは全く知らないけれど、とにかく緑が濃くて時々何かの実がなる。カレーを作るときに使うローリエも、ここで枝ごと切ってくれ る。
本日のえぇもんは、ヤマモモだった。 雨上がりの午後で、黒々とした蚊が飛んでいた。 誘ってくれたのとは違う作業着姿のおっちゃんが、ヤマモモの木の下に青いビニールシートを広げ、木をゆすってくれた。直径2cmほどの紅い実がばらばらと振り落ちる。なるべくきれいに赤く色づいた実を集める。スカート姿の柚木は蚊を恐れて早々に退散したのだけれど、後でちゃんとおこぼれをもらった。おうちに帰って、ヤマモモ酒にするのだ。
ヤマモモ酒は今、玄関にいる。朝に夕に眺めては、 上から順に赤色が濃くなるのを楽しんでいる。小さなヤマモモは阿寒湖のマリモのように静かに行儀良くお酒に浸かっている。初め底に沈んでいた紅色のマリモは、徐々にぷかりと上に浮かび上がり、集団でたゆたいながら、また徐々に下降し始めた。このヤマモモの上下運動には何か科学的理由があるのだろうけ れど、理数音痴の柚木には可愛いマリモの集団行動のようにしか見えない。ヤマモモ酒の完成は10月になってから。とても待ち遠しい。

柚木、春樹さんに会いに行く その4

音楽の話がいくつか。セロニアス・モンクの奏でる音が独特であるということについて。柚木は音楽に全然詳しくないので、細かい記憶はすぐにするすると抜け落ちてしまった。ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」もベルマンの「巡礼の年」もずいぶん売れているようですよ、と聞かされて、そんなの買わなくてもYouTubeで聞けますからと答えていたことだけはしっかり覚えているのだけれど。なにしろ柚木もYouTubeでしか聞いていないので。
春樹さんはクラッシックを流しながら小説を書く。その曲の持つ力が、春樹さんの物語をより豊かにしているのかもしれない。
「小説にはリズムがある。そうですよね? みなさん。でも小澤征爾さんって、そのことがわかんないんだよなー。あの人、音楽のことだけだから。小説にも音楽(リズム)があるってことが全然わかんないの」
ふーむ、柚木にとってはちょっと意外なお話です。音楽家って、何にでも音楽性を見いだしてしまうものかと思っていたので。絵画にも、無音の映像にも、小説にでも。
たぶんわたしが高校生だったころの話(もう20年くらい前の話だ)。夏目漱石と春樹さんの小説は、読後の余韻あるいは背後に感じるリズムが似ているように感じて、何故なのか疑問に思ったことがある。春樹さんが漱石を好きだと知った時には、やっぱりそうなんだよねって妙に嬉しくなった。わたしにとって文章の美しさというものは、場合によってはストーリー以上に重要な存在なのです。文章の流れ方がしっくりこないと、話を読み進めること自体が苦痛になる。ゴツゴツいろんなものにぶち当たりながら読み進んでいる感じで、とても神経に障るのです。ストーリーはいいと思うのに、どうにも好きになりきれない、手放しで人にお薦めできない、という作品はいくつもある。それはすごく残念なことです。
(今になって、春樹さんと小澤征爾さんとの対話集『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を読んでいるのだけれど、中に小説のリズムについて話した箇所がある。(インタリュード2、文章と音楽との関係)「音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けないんです」と春樹さんは話す。そんなこと、まるで考えたことなかった。漱石についても「夏目漱石の文章はとても音楽的だと思います。すらすらと読めますね。今読んでも素晴らしい文章です」と語っている)
新作の『色彩を失った多崎つくる(略)』は約半年かけて第一稿を書き上げ、それからまた半年かけて推敲した。春樹さんにしてはずいぶんと速い。小説は第一稿を書き上げるのと同じくらい時間をかけて何度も推敲する。だから完成原稿はまるで違うものになってしまう。データが残ってたら研究者が喜びそうですね、と言われて、ちゃんと消しておかないとなーなどと呟いていた気がしますが、ぜひ残しておいて欲しいです。一読者としても実に興味深い。そんなの発表されたら、春樹さんにしたらすごく不本意でしょうけれど。
そして『色彩を失った(略)』の中で、シロが取り憑かれてしまった得体の知れないものの正体について。「あれはお化けです。文学的なメタファーとかじゃなくて、お化けだと思って僕は書いてます」と何度も繰り返していた。もちろん、読者がどのように受け取るかは自由だけれど。
最後に覚えているのはビールの話。読者からの質問でお薦めビールを訊かれて、「僕はビールは瓶派なんだけど、これは美味しかった。缶の側面に『どうして瓶ではなく缶なのか』って説明がずらぁって書いてあるの」と教えてくれたのがこれ。

マウイブリューイングのビッグスウェル(巨大な波)。ハワイのビーチに寝転びながらビッグスウェルとピナコラーダを飲むというのが、柚木にとっては夢のバカンスかもしれない。
Maui Brewing Company - Hawaii's Largest Craft Brewery
http://goodbeer.jp/brewery/maui/product.html
講演についての記録は、一応これで終了です。また何か思い出したら、それはまたその時に。