NEWS SCRAP その2

 ここ数日朝のワイドショーは二子山親方死亡に関するニュースから始まる。でも正直わたしはこの話題に特別な興味がない。退屈である。昨日くらいから兄弟の確執に話題の中心が移ってきて、さらにこの話題を目にしたくなくなった。もちろんテレビを消せばいいだけなんだけど、朝少しばたばたしている時にテレビがついていないのはなんだか落ち着かないのだ。たんに習慣的な問題として。
 わたしはそもそも有名人の不仲説や離婚話があまり好きではない。個人の現実世界においても多少の軋轢は日々生じている。なのにいったい何故ひとのゴタゴタまで聞かされなきゃならないんだ? 不幸な話は気付かないうちに心に入り込んでその温度を下げてしまうように思える。もちろんわたしはとても狭量な人間なので、(特に今のようにあまり幸福ではない時には)ひとの立派すぎる成功話を聞きたくないとも思う。妬むし「失敗すればいいのに」と小さくだけど願ったりもする。だからあまり偉そうなことをいう資格がないことは分かっているのだけれど、「お葬式の場でまでこのように兄弟で争うのは非常に残念ですね……」といった類のコメントを聞く度にわたしの心は僅かに冷えてしまうのだ。
 マスコミが彼らのあるいは些細であったかもしれない諍いにスポットライトを当てることで、事態は確実に悪くなる。この種の報道で事態が好転する可能性をわたしは信じることが出来ない。報道者はその事実におそらくは自覚的でありながら、なお矛盾したコメントを付け加えるのだ。この現状が視聴者の好奇心に忠実な報道のあり方なのだとは思うけど、やはり心暖まるものじゃないです。
 二子山親方死亡関連ニュースを避けたくていろいろチャンネルを動かしてみて改めて感じたことがある。それはワイドショー番組構成の不自然とも思えるまでの同一性だ。全てのワイドショーが同時にまるで同じ話題を取り上げていることはそれ程珍しくない。あるいはそれは僅かな時間差をもって繰り返される。これはニュース番組においてより顕著であるようにわたしには感じられる。報道される内容・順序・時間配分のどれもがとても似通っているのだ。だから結局はどのニュース番組を見たところで(特集ものを除けば)そこから得られる知識に毛の末ほどの差もないことになる。あるいはこれは事件の客観的重要性からくる必然的結果なのかもしれないけれど。記者クラブによる和やかな談合の結果であるのかはわたしの窺い知れるところではないのだ。
 この点地上波のニュース番組として異色の彩を放っているのが(一部で熱狂的ファンがいると思われる)『ニュース JAPAN』。この番組の素敵さは簡単には表現できない。あまりに深すぎて  。(できればまたの機会にゆっくり)。『すぽると』の前に始まるから目にしたことがある人は多いと思うんだけど、このたった三十分のニュース番組の時間配分は普通ではない。他の番組ではトップニュースとしてかなりの時間を割かれる事件が、とてもあっさり終わらせられたりする。それもこれも『INSIDE AMERICA』というアメリカ最重視コーナーに割く時間を確保するためだ。おそらくこの推測に間違いない。(JR福知山線脱線事故並みの)よほどの事件がない限りこのコーナーがカットされることはないのだ。これは(ワシントン特派員という経歴を持つ)松本方哉さんの強い意向が働いているものと思われる。すごく心惹かれるコーナーです、これは。意味なく(言語の相違によるニュアンスの問題を気にしてのことだろうけど)方哉さんが英語でインタビューして同時通訳風に演出されているのもとても楽しい。
 ある時「臨時ニュースが入ってきました」といって滝川クリステルさんが読んでくれたニュースもオリジナリティーに溢れていた。内容ははっきりと憶えていないんだけど、たしか「ドイツの地方都市か何処かでバスジャックされ、乗客二人が人質となっています」とかそんな感じの事件だった。バスジャック? とわたしは思った。ハイジャックとは違う。国外の、しかも日本人が関わっているわけでもない現在進行形の小さな(人質の数も少ないしケガ人だって確認されていない)バスジャック事件を速報扱いする必要とは何か? 「何だこれは……?」と思わず声を上げて隣にいた弟と顔を見合わせてしまった。そして笑った。「さすがニュース JAPANだね」と。もちろんその後他の番組でこの事件を目にすることはなかったし、続報も流されることはなかった。幻みたいなニュースだった。うまく解決されたのならいいんだけど。
 でもこういうことがあるととても楽しい。ニュースを梯子する甲斐もあるってもんだ。