『とくダネ!』の小倉さんと「かりゆし」

 今年の六月一日から、官主導の『COOL-BIZ』が始まった。テレビを見ている限りその試みが圧倒的な成功を収めた、……ようにはとても見えない。個人的には残念で仕方ないのだけれど。それが政治家の先生方による素敵なCOOL-BIZファッションに恐れをなしたからなのかは分からない。
 前にも書いたのだけれど(COOL−BIZ 夏の軽装 - 雨天炎天な日々)良識的社会人とは呼ばれないわたしからしてみれば、『COOL-BIZ』は非の打ち所のないアイデアである。ひどく蒸し暑い日本の夏を「ノータイ・ノージャケットで過ごそう!」というのは至極まっとうな考え方であるように思える。COOL-BIZは分厚い重荷を背負い続けてきたサラリーマンの荷を減らし、彼らを健康にする。真夏に毛布を被らされていた女性が夏を取り戻し、彼女たちの子宮を暖める(わたしは生理前になると体温が下がり、すごく寒がりになるのだ)。クーラー代は大幅にダウンし、会社経営者は喜ぶ……。しかもこれら全ては、「地球のため」という文句のつけようがない大義名分を掲げながら達成される。だからどうして世間がここまでCOOL-BIZの導入に消極的であり、議論を重ねようとしているのか……、個人的には非常に疑問である。せっかく「官のお墨付き」がもらえたっていうのに。
 夏の軽装化に反対する人々の多くが「礼儀・TPO」を強調している。そのこと自体はわたしにも理解できないことはない。――納得は出来ないにしても。たしかに凶悪な事件や訃報を伝えなければならないニュースキャスターにとって、それは重要な関心事であると思う。だけど、そんなのは保守的な思考回路に対する都合の良いエクスキューズに過ぎないんじゃないのか?
 例えば(これは一つの具体例でしかないのだけれど)『報道ステーション』の古舘伊知郎さんは、水色の太いストライプ柄のシャツにポップなネクタイを締めていたりする。『ニュースステーション』での久米宏さんの格好をちょっとは意識しているのかもしれないし、スーツというカテゴリーの中で如何に季節感を表現し、個性的なファッションが楽しめるのかを追究しているのかもしれない。あるいは「官主導の運動には乗るものか!」という反骨心あふるるジャーナリスト魂の発露なのかもしれない。だけど彼の格好は、私の感覚からいえば相当にカジュアルである。仲の良い友達に呼ばれて、リラックスした結婚式の二次会に参加する為の選択に見える。これが『凶悪事件や訃報を伝えるのに適した服装』であるのか、わたしはすごく疑問である。小汚くならないように自分らしいお洒落を楽しむことだけが目的なのだとしたら、何もスーツという狭い枠に自らを押し込める必然性なんて何処にもないのだ。もし、彼がスーツを着ることによって儀礼にうるさい世間からの激しい反発を回避し得ているのだとしたら……、わたしは世間というものの形式的短絡性に涙を零してしまいそうだ。
 『ニュース23』の筑紫哲也さんは、かりゆしウェアを着て飄々と『多事争論』なんかをこなしている。(普段にも愛用されてるようなので、とても申し訳ないのですが)正直なところあまり似合っているようには見えない。着慣れない服を着た「休日のお父さん」みたいに見える。でもわたしは筑紫さんの「かりゆし」に暑い季節と明瞭なメッセージ、そしてほんの少しの勇気を感じる。そして、そのことによって筑紫さんに対する個人的好感度はずいぶんとアップした。
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol561/fusokukei
 『とくダネ!』の小倉智昭さんはネクタイが嫌いだと言っていたから、無責任なわたしは無理矢理にでも「ノータイ・ノージャケット」を実行すればいいのに、と思う。どうせ彼は記事を読まないのだし。あるいは暗いニュースを伝える為に、報道番組内の誰かひとりがきちんとしたダークスーツを着ていればいいのだ。そんなの持ち回りにしたってかまわない。それに、『とくダネ!』の佐々木恭子さんやゲストの女性陣はたいていすごく砕けた格好をしている。女性用には半袖のきちんとしたスーツもある(男性用にデザインするのは難しそうだ)のに、その辺について世間様は大変リベラルな考え方をなさるらしい。ほんとに何がどうなっているのかよく分からない。世間様の常識的見解とわたしのような小娘が論理的に導いた結論との間には、広くて深い溝が存在するのである。