部屋の中でサッカー

 昨日、息子が学校から『放課後の過ごし方について』と題するプリントをもらってきた。夏休みを前に地域や保護者から学校に寄せられた苦情に対処したもので、「まぁそれはそうだよね」という感じの内容だった。例えば駐車場で遊んではいけない、とか保護者が不在の家に上がらないとかね。しごく当たり前のことだし、特に目新しいこともない。ただ、ちょっとそこまで禁止するのは子供達が可哀想な気もするな……と思ったことがある。
 それは『棟の壁(団地が多いので)にボールをぶつけたり、大きな声を出して遊んだりしない』という禁止項目。わたしが子供の頃にはみんなで棟の壁にボールを当ててバレーをしたり、キャッチボールの練習をしたりしたものだった。特に雨が降った日には、それは重要な選択肢のひとつであった。当時は「壁当て」がいけないなんて(本当は禁止されていたのかもしれないけれど)ちっとも思わなかった。場所によってはその音はひどく響いていただろうと思う。(音は複雑な経路を辿って実際以上に拡大される)。それでもせいぜいが「遅い時間に壁当てはしない」と注意されるくらいのものではなかっただろうか? 子供はわらわらとそこら中に溢れていたし、全員を小さな広場や狭い部屋に押しやることは不可能だったから、大人達もある程度は妥協せざるを得なかったのだろうと思う。
 でも今はすっかり様子が変わってしまった。道と疎水を一本挟んですぐ隣にある小学校から聞こえる叫声はとても小さくなった。昔はグラウンドではしゃぎ廻る子供達の声で、昼寝するのもひどく難しいくらいだった。なのに今では真っ昼間家にいても、何時が休み時間なのかさえよく分からない。――かつての新興住宅地と同じに、この付近の住民もみんな年をとってしまったのだ。幼い子供のいる家庭は、確実にマイノリティとなりつつある。だから人は子供が(大人に比べれば)本来的に騒がしい生き物であることを忘れ、物音に敏感になった。別にわたしはその不寛容を責めているのではないし、子供は静かに出来ない生き物であるから少しくらいの騒音は我慢しろ、と言いたいわけでもない。
 ――ただ昔わたし自身が育った時代からすると、ずいぶんと今は子供にとって生きにくい環境になってしまったものだな、と思う。これはわたしのノスタルジーが呼び起こすつまらない感傷に過ぎないのかもしれないけれど――。
 そんなわけで今日の息子は部屋の中でボールを蹴ってました。「外でやりなさい」と言うと「壁に当てたらあかんねんで」と元気にお返事。ほんと馬鹿ですね。