旦那さんの誕生日に思う

 今日は旦那さんのお誕生日ですが、母に指摘されるまですっかり忘れてました。昨日友達に無事誕生日メールを送って安心したせいだな、……きっと。誕生日だからって旦那さんが早く帰ってくるわけでもないので、バースデーケーキもワインも御馳走も何もなし。歳を取るのって段々とつまらなくなる気がする。
 息子なんて終わったとたんに次の誕生日を待っているし、プレゼント目当てとはいえ歳を取るのがすごく嬉しそうである。彼らは年々成長するのだから、それはまぁ本当にめでたいことだと思う。わたしくらいになると、(他の二十九歳にも当てはまるのかは知らないけれど)成長した部分よりは劣化した部分の方が明らかに長くリストアップ出来る。顔のシミが増え、活発な好奇心が鳴りをひそめた。冒険心もなくしたし、心配事だけが次々と積み上げられる。――それに引き替えわたしはいったい何を得たっていうんだろう? 収支のバランスシートはひどく均衡が崩れ、目も当てられない。時々わたしは目隠しをしたまま人生を後ろ向きに歩いているような気がする。あるいは真っ白な霧の中を一年間歩き続けて、もとのつまらない自分に再会してしまったような惨めな気持ちになる。
 だけど不本意ながらも歳を取ることで、わたしは多くの素晴らしい物と引き替えにささやかな贈り物を受け取った。幼い自分にはなかった新しい心の動き――。歳月は今まで気付かなかった世界の新しい見方を、ふと目の前に広げてくれることがあるのだ。それは大抵の場合わたしをひどく物哀しく、切ない気持ちにさせるのだけれど。
 昨日の夕方、『羊をめぐる冒険』までの三部作を読み終わって、わたしは涙が溢れそうになった。今もわたしが完璧な若さを手にしていたとすれば、一粒の涙さえも零れ落ちなかっただろう。そんな気がした。

羊をめぐる冒険 (上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険 (上) (講談社文庫)