デパ地下ケーキ売り5日間

 最近ようやく勤労意欲に目覚めた柚木は、バイトを始めてみることにした。とは言ってもたいしたやる気があるわけではないので、自分でバイト情報誌を買ったりハローワークに出かけるようなことはしない。友達の紹介である。これなら面接で断られたりもしないし、変な扱いを受ける心配もない。柚木は受動的かつ、合理的な人間なのです。
 そんなわけで、女の子なら一度は憧れるだろう夢の「ケーキ屋さん」でアルバイトすることになった。もう柚木はとっても「女の子」なんて言える歳ではないけれど、やっぱりちょっとドキドキする。(余ったケーキはもらえるかな? なんてね)。このバイトを紹介してくれたのは、例のドイツに行っちゃったわたしの自由気ままな女友達である。彼女は今年の夏にも一ヶ月間ドイツの語学学校に通っていて、そこでケーキ屋のオーナー兼シェフと知り合ったのだ。オーナーは四十代の女性で、もちろんドイツ菓子の店を経営している。
 バイトはもちろん面接もなく決定した。店が短期間デパートに出店するで、その期間の補充要員である。三時間ずつ二日間だけ店を手伝い、その後はデパート出店に向けて一回だけ箱詰めの練習をした。準備はそれで完了である。(不安でいっぱいだ)。
 初日と忙しい時間にはオーナーとオーナーの妹さんが(顔が全然似ていないので、血は繋がっていないとわたしは確信している)手伝って(監視?)はくれたものの、基本的には柚木ひとりで売り子をする。隣のブースではモロゾフさんが社員三人でキビキビ働いているっていうのに、この辺が個人経営の弱小ケーキ屋の悲しいところである。右も左もレジ打ちもケーキの説明も箱詰めも、さっぱり分からない柚木ひとりに店を任せようなんて、オーナーもなかなか大胆である。
ババロアって柔らかいですか?」とか、お客さんは色々質問をしてくる。柚木だって買い物する時は思い付いたままに質問をして、よく店員さんを困らせる。でもわたしはただの臨時バイトで、並んでるケーキの半分も食べたことはないのだ。「ババロアですので……」とか適当に答える。この店のババロアなんて、食べたこともなければ、つついたこともない。そんなこと質問しないで欲しい。(今まで無茶な質問をして困らせた店員さんたち、ごめんなさい)。
 始めの二日間、生来的に不器用なわたしは、お客さんがうっかり箱を落っことしてくれるように祈っていた。ケーキは無秩序に箱詰めされているのだ。箱を広げた時にケーキが壊滅状態になっていたとしても、何の不思議もない。ケーキが潰れていても、お客さんが箱を落としてくれていたらわたしのせいにはならない。
 ……そんな波瀾万丈、スリリングなケーキ売りのバイトも、たった五日間で無事終了した。脚の激しいむくみと共に手に入れたのは、モロゾフのチーズケーキその他の残り物の数々(うちの店は何もくれなかった)と、デパートガールの声真似である。あまり知名度のない店なので、黙って立っているだけではケーキなんてちっとも売れないのだ。
 そんな柚木のデパガ風呼び込みと、お爺さんキラーな接客態度が評価されたのか、そのうちにまた臨時バイトとして声を掛けてくれるそうだ。平日は、これまた友達に紹介してもらった事務員のバイトをすることになったので、やるとしたら土日祝である。
 でもいったいわたしは何時から、休み返上で働く勤労少女になってしまったんだろう……? 何か変だな……。