何故わたしがブログを書くことにしたかということ

 興味ある人はいないのかもしれないけれど、ブログなんて所詮自己満足の落書きにすぎない。とゆうことで書くことにします。
 わたしにはほぼ丸10年もの間(こうして書いてみると本当に長いですね)相当な情熱と、お金と、労力を傾けていた目標がありました。考えようによってはその期間は15年間と言えるかもしれない。
 その長い間大切に抱え込んでいた目標を、ほんの2週間ほど前にすっかり失ってしまったのです。本当にすっきりと。ある意味では唐突に。自分の認識の甘さと、努力不足と、おそらくはほんの少しの不運によって。
 擬似的に(人はまるで同一の経験は出来ない)わたしと同じ衝撃を受けた人なら分かるかもしれないけど、これはもう死んじゃいたいです。死にたいとゆうか「生きていたくない」「もう終わりにしてくれ」って感じです。
 pause…
 わたしには残念ながら予知能力だとかの特殊能力は備わっていないので、今のこの悲惨な状況は『最も現実化して欲しくない種類の想定の範囲内』ってやつです。
 キリキリと10年分くらい時計のネジを巻き戻して「ちょっとちょっと、とう子さん、無駄な(無駄になるべく運命づけられた)努力をするのはやめて、もっと他の建設的なことに力を掛けた方がいいですよ」ってゆってあげたいです。
 あぁ。でもそんな便利な時計はわたしの周りには存在しない。持ってる人がいたら、ちょっとでいいんで貸してください。
 勝手な想像に過ぎないんだけど、いわゆる社会的地位のある人たち(例えば、大企業にお勤めの会社員とか、教師、警察官なんかね)が痴漢で捕まってお堀の中にいるときの気持ちって、こんな感じじゃないのかな。
「たかが痴漢ぐらいで(『たかが』彼らはそう思ったはずです)何で俺はこんな目にあわなきゃいけないんだ?」
 おそらくはその地位に値するだけの努力を長い間積み重ねてきて、それがほんの一瞬のうちにガラガラッとと静かに音を立てて崩れていく。積み重ねた時間に比べればそれは芥子粒みたいな些細な失敗(彼らにとってね。念のため)に過ぎない。
 酔っぱらって女の子のおっぱい揉んじゃった某N議員も、きっとネジ巻き時計が欲しかったはずです。まぁ、某Y議員みたいにそんな些細な失敗をものともせず、見事な復活を遂げる人もいるみたいですけどね。
 キリキリキリ…
 ネジ巻き時計を持たないわたしは、目を瞑ったまま10年の間に徐々に自分の可能性を磨り減らし、今は立派な引き籠もりがちのニートになってしまいました。ニートなんてゆうと流行りもんで少しお洒落な感じすらするけど、客観的に今の状況を言語化するとすれば『半廃人』ですね。これよりぴったりな表現ってちょっとないんじゃないかな。
 結局わたしがブログを書くことにしたのは、完全なる廃人になってしまわないための一つのツールです。この先このブログが一筋の光明に向けて進んでいくのか、それとも完全なる廃人日記になってしまうのか。まさに神のみぞ知る。
 わたしとすれば、ぜひ前者の方でお願いしたいわけですが。