なぜ献血しなければならないか

 わたしには4つ下の弟がいる。彼の幼少期を知っているわたしは(姉なんだから当たり前だ)未だにうまく馴染めないでいるのだけど、彼は熱狂的なオリックスのファンである。神戸に就職して、二軍の試合まで嬉々として観戦しに行っちゃうくらいの。これは「一応、オリックスファンです」って人とは明らかに違う。彼の予定はオリックスの試合を中心に組み立てられている。これはもう熱狂的ファンとしか言いようがないですよね? でも小学生の時の彼は、野球少年どころか、およそスポーツとゆうものに興味がないように見えた。でも人間とゆうのは変わるものだ。ある部分はまるで変わらないとしても。人は変わる。弟を見ていると、そのことが実感としてドスンと、とてもリアルに感じられる。
 そして、今年3月初めの日曜日。まだ風が吹けば肌寒い、でも空は気持ちよく晴れている。そんな幸せな日曜日。まさに野球日和。客観的にいえば、文句のつけようのない日。
 その日わたしの弟は朝から草野球の練習をしていて、オリックスの試合を見に球場へと向かう途中だった。バイクに乗って。
 彼はきれいに整備された道路で、ほんの少しスピードを出し過ぎていた。いつもの通い慣れた、よく整備された道路。確かにスピードを出したくなる。仕方がない。
 でも見晴らしのよい緩やかなカーブに差し掛かった時、単純な操作ミスと軽く湿った路面と、その他の些末な複合的要因から、弟のバイクはスリップし、彼は宙に舞った。分離帯を越えて、反対車線へ  
 あらゆる交通事故がそうであるように、それは全く予想外に突然降りかかってきた災難だった。弟自身の身の上にだけではなく、彼の友達や、彼女、そして私たち家族にとっても。事故を知らせる電話を受けるのは、経験的に言って(何度かあるのだ、残念ながら)あまり心楽しいものではない。
 彼は事故によって少なくとも3㍑の血液と脾臓とを失い、左腕を骨折した。その時、彼の生と死との間には、ぼんやりとした不明瞭な境界線しか引かれてはいなかった。彼は死の方へと半歩踏み出し、何とかこの現実世界に踏み止まった。とても多くの小さな幸運に支えられて。
 反対車線に跳びだした弟を轢かずに車を止めてくれた人、有り難う。緊急病院が近くにあったこと。専門医が揃っていたこと。そして、血液がきちんと保有されていたこと……。弟の命を救ってくれた総ての小さな幸運。その全てにとても感謝しています。本当にありがとう。
 そんなわけで、わたしは献血に行かなくちゃいけないのだ。輸血経験のある彼は、もうお返しすることが出来ないから。意外に義理堅い性格なんです、わたしは。
 弟が仮に2㍑輸血してもらったとして、それを返すだけで少なくとも10回(体重が50㎏以下だと、一回に200㍉㍑ずつしか献血できない)は献血に行かなくてはいけない。
 面倒だな、と思う。正直なところ。でも仕方がない。弟は、名前も知らない誰かの親切に、その命を救ってもらったのだから。
 そんなわけで、わたしは朝から献血しに行ったのです。トボトボと。ご近所さんまで。