花粉症と発光ダイオード

 もうたいていの人は解放されたと思いますが、今年の花粉症は本当に酷かったですね。殺人的と言ってもいいくらいに。父曰く(ソース確認なしです。ごめんなさい)「今年のヒノキ花粉は、たった一日で去年の五年分飛散していた」んだそうである。いくら去年の飛散量が少なかったからって、これはちょっと無茶苦茶である。お天道様だって、少しは考えてくれたっていいんじゃないか? 街中で、オウムの嘴みたいに奇妙にとがったマスクをつける人々を見ながら、わたしはそう思っていた。それは実に非現実的な光景であるように感じられた。SARS騒ぎの時は、マスク姿の人なんてほとんど見かけなかったのだ。花粉はある意味新型ウイルスよりも人々に深く畏れられている。幾つかの花粉は存在するだけで確実にある種の人々を圧倒的に苦しめるのである。だからあの妙に(今となっては)非日常的光景も、当然と言えば当然の結果なのだろう。
 わたし自身はすごぉく幸運なことに花粉症ではない。今のところは(毎年ビクビクしてるんだけど、どうやら今年も無事だったみたいだ。ラッキー)。でも、今年はついに観念して空気清浄機を購入しました。花粉症ではないのに何故か? それはわたしの母親が花粉症だからです。相当重度の。
 彼女は『花粉症』とゆう言葉がごくごく一部の人の間にしか認知されていなかった30年近く前、先駆者的に発症した。結婚して京都に越してから発症したせいで、彼女は北山杉が原因だと思っている。ほんとのところは分からない。でも気持ちのよい春の日に、霞がかった暖かい空気を自由に吸い込むことが出来ないなんて、とても気の毒だと思う。そして姿の見えないミクロな物質が激しく彼女を苦しめているなんて、なんだかすごく不気味な気がする。地球外生物や幽霊の存在と同じに、わたしにはうまく理解することが出来ない。まぁ理解できないことなんて、それこそ今年の花粉飛散総量以上にあるわけですが。
 ここ数年の間に花粉症の薬は飛躍的に進歩を遂げ(それもこれも花粉症患者が激増してくれたおかげだ)、母も随分やり過ごし易くなったみたいだった。でも今年は違う。やはり今までとは決定的に。年明けから三月くらいまでは、それでも甜茶や紫蘇茶を飲んだり(効果があったと思ったのは気のせいなのかもしれない)薬やマスクを駆使することでなんとかしのいでいた。それまでに何度も「空気清浄機買おうか?」と提案していたんだけど、彼女は「大丈夫」の一点張りだったのだ。うちには(控えめに言って)あまりたくさんのお金がないので、自分のこととなると彼女はとたんにひどく我慢強くなってしまうのだ。
 でも、全然大丈夫なんかじゃない。深夜三時前後に薬が切れると「グゴォゴォゴォ、ゲボォ、ゲホォ」とゆう絶望的な呼吸音が狭い我が家に響き渡る。呼吸が止まって死んじゃうんじゃないかと本気で心配になるくらいだ。本人もとても寝ていることなんて出来ない。だから彼女は慢性的に寝不足だったし、生活に必要なあらゆる種類の能力が記録的スピードで消耗されていった。いくら本人が平気だと言っても、これにはわたしが耐えられなかった。(その時はまだわたしも忙しくしていたので、母が家事をこなしてくれないのは困った事態だったのだ)。
 そんなわけで花粉症の季節も終わりかけた四月初め、ついに我が家に空気清浄機がやってきた。Nationalの赤ちゃんがアレルゲンの数々をバッタバッタと倒していくCMでお馴染みのあれです。(もっとも、一番小さいヤツですけど)。
 彼(彼女?)はまさに救世主だった。『徹底的にたたかう空気清浄機』ってコピーは伊達ではない。彼がきてから、母はとにかく朝まで眠ることが出来るようになった。彼女はヒノキ花粉に対するアレルギー反応の方が(杉花粉に対するのより)きつかったので、これはもう空気清浄機様々である。外に出た後は顔が腫れ上がっちゃうくらい酷いのに、家の中では自由に空気を吸うことが出来る。ハレルヤ!!一万五千円くらいの出費でこの効果はもう感心である。大満足。ほんともっと早くに買っておけばよかった。わたしには何の利害関係もないけど、花粉症でお悩みの方には空気清浄機の購入をお薦めします。一考の価値ありです。
 現在の空気清浄機はというと、室内ウサギの脱臭に大活躍である。暑くなるにつれてその活躍の機会は飛躍的に増大する。とにかく『徹底的に』たたかってくれているのだ。感謝。