「全裸家事主婦」的疑問

 え〜っと、わたしには空気清浄機の性能に何の不満もありません。だからこれはただのつまらない些末な疑問なんです。
 つまり「運転状況を知らせるライトはあれほどまでに明るくなくてはならないのか?」ってことです。中村修二氏の世紀の大発明のおかげで、昼間の信号機もクリスマスのイルミネーションもとても明るくなった。時には眩しすぎるくらいに。消費電力も大幅に減って、地球のためにも実に喜ばしいことである。そして昼の間、うちの空気清浄機のライトもとてもすてきに明るく点灯している。疑似点灯なんて一切ない。非常に分かり易い。
 でも、でもですよ、夜寝る時にあれは(すごぉく控えめに言って)ちょっと明るすぎないですか? 【おやすみのときなど、静かに運転したいときは[微弱]で運転するように】との指示がある。それで音は十分に静かになる。眠るのに支障はない。だけどライトの光度調節機能は備わっていない。謎である。そこには何か非常な技術的困難があるのだろうか? それなら、カバーを付けてくれるだけでいいのだ。それで問題は解決である。
 わたしは夜寝るときは全部の電気を消すし、ビデオのカウンターの光やカーテンから漏れ込む外灯も気になる質なのだ。だから正直あのライトの明るさは(タオルを何重かにして掛けても、まだそれを突き抜けてくるのだ)絶望的である。豆電球の数倍は確実に明るいと思う。部屋にある全てのものが青白くクリアーに浮かび上がる。とてもぐっすり眠れそうにない。
 それとも、とわたしは考える。わたしのような人間の方がむしろ少数派なのだろうか? 世の人々は明るい部屋の中で、ぐっすり安らかな眠りを楽しんでいるのかもしれない。「夜全ての明かりを消したいと切望する人間は(商業的に無視できるほどに)少ないのか?」それがわたしの*1「全裸家事主婦」的疑問である。

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

*1:わたしの大好きな村上春樹さんのエッセー集『村上朝日堂は いかにして鍛えられたか』の中の「裸で家事をする主婦は正しいのか?」「全裸家事主婦クラブ通信②」参照。ちなみにわたしも全裸で家事をすることがあります。シャワーやお風呂の前後にちょっと掃除したりお茶碗洗ったりするだけなんで、リラックスのためだとか何か明確な意図があるわけではないです。でもまぁ、確かに開放的な気分にはなるかもしれない。