京都の電撃的邂逅

 『電撃的』邂逅といえるかは分からないけど、人生において非常に重要な、それこそ決定的意味を持つ出合いを経験したことがわたしにはある。村上春樹さんとの出合いが(もちろん実際にお会いしたことはない。正確には村上作品との出合い)それだ。
 当時わたしは中学生だった。父は春樹さんと歳が近いせいもあるのか(春樹さんの一つ年上)村上作品の*1熱心な読者で、ある日わたしの前にポンッと一冊の村上本を置いた。(父はよくそうやって自分の気に入った本をわたしに勧めていたのだ)。それがどの作品だったのかは残念だけど思い出せない。もう十五年も前の話なのだ。ただ『ノルウェイの森』でなかったことだけは確かだと思う。あれは中学生の純情な女の子が読むには些かセクシーすぎるから。
 とにかくそれ以来、わたしの人生に村上春樹とゆう人は欠かせない存在になった。彼の作品に出会わなかったら、わたしの人生の色づけは随分と違ったものになっていたんじゃないかと真剣に考えちゃうくらいだ。機会がある度に何度も繰り返して村上作品を読み返した。わたしは割にどんな本でも漫画でも繰り返し読む癖があるんだけど、その中でも断トツのぶっちぎりリピート率である。飽きたり物足りなかったり厭になっちゃったり……そんなことは今までに一度もない。そして今まさに「村上作品リピート期」が訪れているところだったりする。
 でもわたしは「村上春樹の小説が好きで堪らない!」というのとは少し違う。と思う。こんなことを言ったら怒っちゃう人が100ダースくらいいそうで怖いんだけど。もちろんすごく好きな小説を幾つかすぐに挙げることだって出来る。何度も読み返したりもする。でもそれはごく一部の小説に限られているし、そのほとんどは短編だ。たいていの場合わたしはエッセイを繰り返し読んでいる。数ダースくらい。
 だからわたしは村上春樹という人の生み出す文章のリズムが好きなんだと思う。どうしようもなく。彼の文章には*2音楽が流れているような気がする。聞こえてくる音はエッセイと小説とでおおきく違うし、作品ごとにやはり少しずつ異なっている。でも基本的にはなにかとても静かで物哀しい音楽が、わたしには聞こえる。それがするするとわたしの身体の中に染み込んで、何処に存在するともしれないスイッチを押してしまったのだ。ポチッと。そんな経験は他にない。十五年前のその一回きりだ。傍を掠めたのかもしれないけれど、誰も、何もそれを押したりはしなかった。大好きで何度も読み返す作品にはたくさん出合った。小さい時にそれは『ドリトル先生シリーズ』だったし、数年前にそれは『宮部みゆき作品』だった。
 じゃぁ、いったい何がそんなに決定的に異なっているのか  ? 
 答えは「嫉妬心を掻き立てるか否か」だ。こんなことを言うのはとてもとても烏滸がましいんですけど……、わたしは春樹さんの文章を読んでいると激しく嫉妬しちゃうんである。これがおそらくはスイッチを押した根源的理由だと思う。自分勝手に分析してみた結果。「これだ!」とその時わたしは思ったのだ。「村上春樹のような文章力が手に入るんなら、ほかのどんな種類の才能も欲しくはない!」とかなり真剣に思った。  実は今だってそう思っている。いわゆる文章のうまい人ってゆうのは世の中に結構たくさんいる。文章を書くことを商売としている人の大半はわたしより格段に上手な文章を書く。そんなことくらいわたしだって知っている。でも「上手だなぁ」とは思うけど嫉妬したりはあまりしない。(もちろんちょっとはする)。それは歌のうまい人や走るのが速い人を見るのと似ているかもしれない。そんな自分だったらいいな、とは思う。出来れば。でもそれは自分の本当に欲しい能力とは違う。だから嫉妬心がメラメラ……とゆう事態にはならない。でも不幸なことに(幸運なことなのかな?)村上春樹の文章といったらである。夢の中で想い描いた完璧なデザインが現実に形を与えられて飛び出してきたみたいなものなのだ。夢の現実化。フルオーダーメイドのお洋服。糸の一本、染色の加減、サイズ、肌触りに至るまで一ミクロンの狂いだってない。もう欲しくって気が狂いそうである。
 でもわたしは「村上春樹の文章力」と等価交換し得るだけの見るべき才能を持ち合わせていなかった。仕方がない。だからこうやってポチポチと嫉妬に満ちた文章を書いているんである。なのに同じ世界の何処かで、春樹さんが鼻歌を歌いながらポケットからキャンディでも取り出して舐めるみたいにちょちょいっとあの素晴らしい文章の数々を生み出してるのかと思うと(ほんとは苦労されてるかもしれないけど)、嫉妬を通り越してもう憎たらしいですね。(ごめんなさい。才能のある人は思いもよらない場所で全く理不尽に憎まれちゃったりするんです)。
 とにかくこれがわたしの京都における村上作品との電撃的邂逅ってやつである。それ以来わたしは「村上文章中毒者」で、音楽を聴く代わりに村上作品を読んでいる。

*1:それはもちろん今でも変わらない。つい最近も『ねじまき鳥クロニクル』を読み返して新しい発見があったと言っていた。深層心理にすっと入り込んでいくところが「あぁ、そうなのか」と感覚的に馴染むようになっていたんだそうである。わたしはまだとてもその領域には達していそうにない。でもそろそろまた『ねじまき鳥クロニクル』にトライしてみようかな。

*2:春樹さんはJazzがすごくお好きなんで、その影響なのかもしれないですね。でも村上作品から流れてくる音楽がJazzなのかはよく分からない。なんだか違う気がする。音楽のことはわたしにはほんとに分からないです。