『宿命的』あるいは『決定的』影響

 今回も前回に引き続き『村上モトクラシ大調査 第8回アンケート』に参加する。迂闊にも昨日から開始されたことに気が付かなくて結構ギリギリでの回答になってしまった。わたしの回答で912件目。1000件に達した時点で締め切られちゃうから回答するだけのことでも意外と簡単ではないのだ。(というほどのものでもないか)。
 第一問目のアンケート内容は以下。

村上モトクラシ大調査村上春樹作品を読んでこんな影響を受けた


*「悪くない」とか「やれやれ」とか、つい言うようになった
*ジョギングなどスポーツをするようになった
*海外の作家の作品を読むようになった
*自分でも文章を書くようになった
*料理など家事が好きになった
*読む新聞を変えた
*猫が好きになった
*結婚した
*離婚した
*転職した

http://d.hatena.ne.jp/motokurashi/20050607

 この質問にはちょっと悩んだ。*1前にも書いたのだけれど、中学生の時に初めて村上春樹作品と出合って以来わたしの生活には常に村上作品の影があった。だから彼の作品から多大な影響を受けたことに間違いはない。けれど「いったい何処から何処までがその影響の結果であって何が違うのか」ということが正直よく分からないのだ。考えようによっては全てが影響を受けたようにも思える。ひとは自己の周囲の環境から有形無形の影響を受けながら成長する。空気を吸うように自然に、無意識的に。それは必然であり不可避的だ。そしてその環境を構成する要素、たとえば家庭・学校・友達・音楽・本・テレビ……なんかは無数に存在し相互に複雑に絡み合っている。そしてわたしの場合その重要な構成要素のひとつが村上作品だったわけだ。ある結果をもたらした最も根本的要因が村上作品にあったと本当に言い切れるのか……、悩むところです。
 でもこの質問は選択式なので悩みの泥沼に入り込む前に「えいやっ」と回答する。『「悪くない」とか「やれやれ」とか、つい言うようになった』をクリック。正確には「わたしには(僕には)よく分からない」とか「宿命的に」とか「損なわれてしまった」とか村上的表現がついつい脳裏を横切る、なんだけど『とか』という訊き方に力を得てニュアンスの違いには目を瞑ることにする。
 でも『読む新聞を変えた』ってどういうことなのかな? 春樹さんが何か新聞に連載してたわけではないはずだし、まさか日本の新聞から『NYタイムズ』とか『ヘラルド・トリビューン』とかに変えた人って意味でもないよね。(日本在住でそんな人がどれくらいいるのか?)『朝日堂』関係で朝日新聞に変えた人ってくらいが無難な解釈だと思うけど。
 選択肢以外に自由回答するとしたら『イタリアに住みたくなくなった(行ってはみたい)』かな。これは『遠い太鼓』というイタリア滞在中のエッセイの影響。
 あとは全ての作品の中の村上的文章がわたしの書く文章に影響している、おそらく。特に今のように村上作品を集中的に読み返している時、そのことがわたしにははっきりと感じられる。これは結局のところ『「悪くない」とか「やれやれ」とか、つい言うようになった』というのと共通した問題ではある。こうやって文章を書いていると、本当にとても自然に、何処かで読んだ村上フレーズが頭に浮かんでくるのだ。これには正直困っちゃうことが多い。なぜなら村上フレーズを断片的に散りばめたところでそれが本物同様の独自の輝きを放つことは絶対にないからだ。それくらいはわたしにだって分かる。やはりそれはどれだけうまくやったとしてもただの猿真似にしかなり得ないのだ。わたしは粗悪な模造品を生み出したくはないと思う。わたしは職業的に文章を書いている人間ではないし、個人的精神安定のために書いているに過ぎない。それにこうやって書いたものを読んでくれている人だってとても少ない(あるいはひとりもいないのかもしれない)。だからそんなことを気にする必要は全然ないのかもしれないとも考える。それでも小石のようなわたしのプライドが自覚的に疑似村上フレーズを削除させる。無自覚なものは  まぁどうしようもないです、ごめんなさい。

 気を取り直して二問目。

村上作品言い間違いアンケート
 「村上作品のタイトルをこんな風に言い間違えた」という失敗談。
  あるいは「誰にも気づかれなかったけど心の中でずっと間違えて覚えていた
 (気づいてよかった!)」という例を教えてください。
  第2問のご回答はメールで【enquete2@shinchosha.co.jp】までお送りください。

 これも考えてはみたもののちっとも思い当たることがない。好きなタイトルならすぐに言えるのになぁ。例えば『カンガルー日和』。気持ちよく晴れた休日の動物園で木陰に置かれたベンチに座っているみたいに、すごくのんびりした気持ちになるから。それから『ランゲルハンス島の午後』。ミクロ化した安西水丸村上春樹を内蔵辺りに感じて人体の不思議を思わせてくれるから。
 でも肝心の回答の方はこんなにパッとは思いつけない。募集締め切りの6/14(火)までしばらく考えてみるけど、たぶん無理だな。

*1:柚木の過去のブログ『京都の電撃的邂逅』を参照下さい。http://d.hatena.ne.jp/touko_yuzu/20050531