神様の名声

 サッカー日本代表監督ジーコ、彼は現役時代の輝かしい活躍とその功績によって既に充分過ぎるほどの名声を得ている。彼はまさに『サッカーの神様』なのだ。それは日本代表がW杯出場を決めたことでますます揺るぎないものとなったように思える。
 でもW杯予選の過程では幾度か『解任騒動』が持ち上がった。ジーコの「自由と責任」を主とする指導方針は、前トルシエ監督のシステマチックで規律を重視する方法に比べて短期的に結果を出すことが難しい。「日本代表は以前の方が強かった」というのが対戦相手の(おそらくは)正直な感想だった。個人的にはジーコの方針の方がチームの持つ潜在的なポテンシャルを最大限引き出す可能性があるように思う。チーム力の限界値が高く設定されている分そこに寄せる期待は大きい。でも、それはもちろん諸刃の剣でもある――。
 ジーコの背負っていた重責はどれ程のものなのかと少し想像してみる。……わたしならほんの一瞬でも立っていられそうにない。だけどある番組(間違いなく関西ローカルだな、あれは)で、もっと事態を重くさせるようなことを言っていた。
「ブラジルではどれだけ選手として素晴らしい成績を残したとしても、監督として失敗したらその全ての名声を失ってしまうのです。『あいつもただのつまらない男だな』って。だからペレも絶対に監督を引き受けないんです」
 本当なんだろうか? 日本なら「名選手必ずしも名監督ならず」というくらいで話は終わってしまう。「でもブラジルではそうはいかないんです!」とアナウンサーは自信たっぷりに言っていた。マラドーナ(ブラジルの英雄ではないけどね)は薬中になってぶくぶく太ってなお各地で熱烈な歓迎を受けているっていうのに? そんなのってなんだかフェアじゃない。いくら世界での名声が保たれたとしても、母国でそれが失われてしまうとしたら? ……その苦痛は想像に余りある。
「でもジーコは日本人に親切にしてもらったので、その恩返しがしたいと監督就任の話がきた時も『引き受ける』と即答したそうです」
 神様の名声を掛けてまで日本に恩返しをしたい? 日本が彼にそれだけの決意をさせるだけの何をしたっていうのだろう? ぜひ教えて欲しいものである。
 何だかうまく創られた伝説的逸話という気がしないでもないけど。