失われた栄光

 昨日の天気は運動会に最適だった、と言えるかもしれない。白い雲が青空を被い、厳しい太陽の光から日焼けを畏れるわたしのなまっちろい肌を護ってくれていた。時折吹き抜ける風は涼しかった。
 運動会はとてものんびりと進行される。ひとつの競技が終わり、退場が完了してから次の競技に出る児童が集められ、入場する。開始予定時刻の九時を二十分過ぎて始まった運動会は、午前のプログラムの最中に意味なく十分間の休憩がもうけられた。そうやって引き延ばさないと、教職員を合わせても二百人に満たないこの小さな小学校では運動会なんて昼前に全てのプログラムが終了してしまう。実際、空模様しだいではそうする予定だったのだ。
 児童は全員、学年別の競技四種目と全学年参加の三種目、計七種目に出場しなくてはならない。結構ハードである。でも親も退屈しないし(兄弟がいればなおさらだ)、子供だってただ椅子に座って応援しているよりはずっと楽しそうだ。これが小さな小学校の良いところなのだと思う。
 わたしが子供の時は、運動会の種目は三種目くらいを自分で選択するものだった。人気のある種目(何だったかな?)はジャンケンで決まった。そしてリレーと言えば、それは対抗リレーを意味していた。クラスの中からタイムの早いものが選び出され、正選手と補欠とにわけられる。そこには厳然としたヒエラルキーが存在していた。運動会の時期は選手が風邪を引いて休むようなことがないか、みんなで真剣に心配したものだった。足の速い子は、その時期そのことだけでヒーローになることが出来た。普段無口でシャイな男の子も、太った女の子も、敬遠されがちな乱暴者も……、その時ばかりは関係なかった。チームの勝利のために幾つかの競技を掛け持ちし、放課後の特別練習に参加する。彼らは本当に特別な存在だった。選手に選ばれなかったその他大勢からの尊敬と期待を集め、彼らは代表の誇りと責任を胸にトラックを走った。
 でも二十年後の同じ場所で、「リレー」は学年全員が走る競技になっていた。一学年二十人ちょっとしかいないのだし、それを赤組・白組に分けなければならないのだから、それは必然の結果なのだ。学校の選択的方針ではない。だからリレーはかっけっこの延長みたいにのんびりとしている。緊迫したレース展開とは縁遠く、子供達も勝ち負けにそれ程こだわりがあるようには見えない。それはそれで、すごく素敵なことなのだろうと思う。
「だけど」とわたしは思うのだ。「本来ヒーローとしての称賛を受けるべき子供達はどうなってしまうのだろう?」かと。今でもスポーツの得意な子は、クラスの人気者になれるのかもしれない。でもそれはやはり、かつての栄光には遠く及ばない。昔わたしは彼らの背中に熱い声援を送り続けるその他大勢に過ぎなかった。それでもわたしは彼らが昔のような栄誉を受ける機会を失ってしまったことを、ひどく残念に思う。それは彼らのその先の人生を思い掛けないほどの力で支え、苦しい時を励ましてくれるはずだったのだ。