十一年ぶりの土曜日

 昨日は「宵山」に行ってきた。仕事で東京に住んでいる友達が京都に着くのが遅くなり、わたしが家を出たのはもう午後八時を過ぎていた。こんな時間から出掛ける人はそんなに多くないだろう、と思っていたのだけど地下鉄には次々と浴衣姿の女の子たちが乗り込んでくる。中には中学生くらいにしか見えないグループもいて、子供同士はもっと早い時間から遊びなさい、と余計なことを考えた。
 わたしも一応浴衣を着ていた。でも三十年ほど前に作られたお義母さんの嫁入り道具である浴衣は、現代風の色鮮やかな浴衣と違って色がない。――もちろん比喩的に言えば、ということだけれど。紺地に白い花模様がくっきりと浮かび上がったその浴衣は、少しも古びた感じがしなくてなかなか素敵だった。ぱっと見た時にはそれ程でもなかったのに、それは部屋に吊るされながらのんびりと現代の空気を吸い、だんだんとしっくり来るようになった。それにわたしが一つだけ持っている山吹色の帯によく似合う。よし、とわたしは思った。これで子供じみた朝顔模様の浴衣を着て気恥ずかしい思いをしなくてもすむぞ。だけど浴衣を着ていく上で決定的な問題が持ち上がった。
 家中ひっくり返しても下駄が見付からないのだ。「家中ひっくり返して」と言うのは比喩ではない。ほんとに色んな場所から手当たり次第にものを引っ張り出してきた。わたしは家の外にあるガスメーターの中まで探したのだ。わたしの家では実に様々な物が小さなブラックホールにひょいっと吸い込まれてしまったみたいに姿を消す。わたしが片付けに参加するようになってからはそうでもないのだけど、小学生くらいの時にはそんなことは日常茶飯事だった。それらの物は別の機会にふいに姿を現すこともあれば、そのまま何処かの惑星に吹き飛ばされたまま二度と戻ってこないこともあった。原因はとてもはっきりしている。そして至極シンプルだ。――つまりわたしの母には致命的なまでに整理整頓能力というものが欠けているのだ。もちろんわたしもその血を色濃く受け継いでいるわけだけれど、それでも彼女ほどではない、……はずである。
 結局下駄は必死の捜索虚しく見付かることはなかった。全く記憶にはないし、どうしてそんなことをする必要があったのかはわからないけれど、多分捨ててしまったのだろう。そう考えるしかなかった。
 だけど下駄を履かずに浴衣を着るなんて考えただけで溜息が出た。いい年をした大人なのだし、浴衣だって気ままに着崩してリベラルな思想をアピールする、といったタイプのものではないのだ。でも浴衣を着るって約束してしまったし、友達に訊くと余分の下駄を貸してくれるとのことなので仕方がない。わたしは白のサンダルと黒いビーチサンダルとのどちらを履いて行くか少し迷った後、友達と母の意見に従って白いサンダルで行くことにした。まぁどっちだってたいした違いがあるとは思えない。電車の中ではとても落ち着かない気持ちがした。楽しいお祭りに向かっている時に、誰も真剣に人の足下に注視したりはしないし、大声でその間違えを指摘したりするはずもないのだけど……。祭りの間中友達はきちんと下駄を貸してくれた。でも本当は行き帰りの電車こそが問題だったのだ。つまらない自意識だとは思うけれど。
 祇園祭宵山自体はひとつのことを除いて特に言うべきこともない。高校生の頃から毎年のように行っているのだ。ただ浴衣を着ていくのが久しぶりだったというだけだ。だから感想は「とにかくすぅごく込んでいた」と言うことに尽きる。本当にひどい込みようだった。人にぶつからずに歩くなんて、ほんの三秒だって不可能だった。臨時の交番が迷子の案内を延々とアナウンスしていた。――いったいどうしてしまったんだろう? とわたしは思った。こんな時間まで人が初日のバーゲン会場みたいに詰め込まれているなんて想像もしていなかった。いつもならなれば屋台のお兄さんたちがすっかり退屈して片付け始めちゃうくらいの時間なのだ。夜の十時というのはそういう時間だったはずだ。華やかな祭りの終焉を目の前にして、ひどく物哀しくなるような――。でも今年は「函谷鉾」の前にまだこれから鉾に乗ろうとする人の列が延々と続いていた。一時間待ちらしい。鉾に乗っていられるのは五分にも満たないのに。「三連休だからだね」と友達が言った。祇園祭は七月十七日(つまり今日だ)が山鉾巡行と決められていて、このところ長い間宵山も巡行も平日に当たっていたのだ。経済効果を考えれば毎年週末にやればよいのに、と思っていた自分の単純さをわたしは意味なくすっかり後悔した。わたしはニュースで見た盛況な愛知博を連想した。わたしならマンモスの氷漬けを見るために炎天下の中二時間も我慢できるだろうか?
 わたしたちは友達が中学の同級生からもらった拝観券を使って「鶏鉾」に乗った。その同級生は鉾のお囃子で笛を吹いているので融通がきいたのだ。本当ならいくらかお金を払う必要がある。(もしかしたら黙って奢ってくれたのかもしれない)。彼はわざわざ来てくれたお礼だと行って厄よけの「ちまき」までくれた。鶏鉾ビルの二階から、ギシギシと派手に軋む短い木製の橋を渡る。「鶏鉾」には締め切り間近だったせいでほとんど待たずに乗ることが出来た。わたしたちは列に並んだ最後の二人だった。だから前に鉾に乗った時(数年前、一緒に「月鉾」に乗った)よりは少しのんびりして、何枚か携帯で写真を撮った。でも他には特にするべきこともない。下を覗き込んでこれが明日には動くのだな、と想像する。ずいぶんと怖ろしそうだ。
 帰ってテレビをつけたら「宵山は十一年ぶりの土曜日となり五十二万人の人出でした」と言っていた。なるほど、それは身動きできないほど込んでいたわけだ――。でも『経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版』では「四十二万人」となっている。割にアバウトな数字なのだ。誰がどうやってこういった種類の数字を算出しているのか? ちょっと興味がある。
追記
 リンクを張ったニュースをよく読むと「京都府警調べ 午後九時現在の数字」となっていた。だから最終的な数字との間に十万人の開きが出たのも当然のことなのかもしれない。……でもやっぱりそんなに厳密なものとは思えないし、算出方法も不明なままです。