「ちまき」違い

 今日は祇園祭に関連して「ちまき」のお話を。
 えーっと、みなさんは「ちまき」と聞いて何を想像しますか? 柚木は食いしん坊なので、当然笹にくるまれたつるりとした白いお餅やほかほかの茶色いもち米の炊き込みご飯を想像する。どことなく風流な感じがする食べ物だし、とても美味しい。好物と言うほどではないけれど、割に心惹かれる食べ物である。
 広辞苑によると、「ちまき」は次のように定義される。 

粽(ちまき
 端午の節句に食べるもち米粉うるち米・くず粉などで作った餅。長円錐形に固めて笹や真菰(まこも)などの葉で巻き、い草で縛って蒸したもの。   <広辞苑より抜粋>

 なるほど、つまり「ちまき」と聞いて食べ物を想像するわたしは基本的に正しいと言うことになる。――でも、この常識的な判断が祇園祭に於いては至極つまらない悲劇を引き起こすことになるのだ。
 祇園祭では各鉾が盛んに厄よけ「ちまき」を売っている。ひとつ千円、なかなかお高い。(これを買うと鉾に乗れたりするし、鉾を保存するための経費に回されるようなので仕方ないのかもしれないけど)。でもこの「ちまき」は玄関に飾ったりするためのもので、――当然食べることが出来ない。『この「ちまき」は食べられません』と大きく表示しておいてくれればいいと思うのだけど、そんなことをすれば客を馬鹿にしていることになると考えているのか、今年も京都人の謙虚な親切心は倉の奥にひっそりとしまい込まれたままであった。
 そして浪人時代のわたしは、ちょっとした違和感を感じつつも素直に食べ物である「ちまき」を買ったつもりで厄よけの「ちまき」を家に持って帰った。そして、自分の愚かさにがっかりしてしまったのだ。……、だけど鉾の売り子さんも「食べれないよ」って一言教えてくれてもいいんじゃないかなぁ。そんなのたいした手間じゃないんだから。
 わたしはそれからずっと、自分の勘違いがひどく希なケースであるように考えていた。普通の人間は厄よけの「ちまき」を食べられるなんて考えもしないし、だからこそ売り子さんもわざわざそれを注意してはくれないのだと。
 だけど今年になって、全然希なケースなんかじゃないことがわかった。京都生まれの三人が集まって話した結果、ひとりのお母さんは「ちまき」に巻かれたい草をほどいて分解してみた。(柚木は外からしつこく笹を突いたりはしたけれど、確か分解まではしなかったと思う)。もうひとりは「ちまき」を分解した上に、実際中身を囓ってみた。「お餅のようにつるつるしていて食べられそうだった」とのことである。でもそれは粘土みたいな味がして、もちろんひどいことになった。(彼女に名誉の為に付け加えるなら、当時彼女は小学生だったのだ)。
 今年もあちこちで同じように勘違いして、何人かは粘土を囓っちゃうのかな、と想像すると少し気の毒になる。京都旅行の楽しい思い出が、そんな些細な勘違いで台無しにならなければ良いのだけど――。