『火垂るの墓』の季節

 高校生の頃までは「原爆の日」(今日で六十年ですね)が近づくと、必ず学校で戦争について考えさせられる機会があった。でも、大人になると段々そういう(戦争について考え込まざるを得ない)強制的な契機というのはなくなっていく。もちろんニュース番組なんかで今日は「原爆の日」だなぁと意識させられることはあるのだけれど、たった数分の間じゃたいしたことは思わない。ただ単純に思い出すだけだ。そんなの「考えた」とは言わない。「考える」にはそれなりの時間が必要なのだ。
 『火垂るの墓』を観てると、色んなことを思い出すし「考える」。もう何度も見ているのだけれど、初めからきちんと観たのは久しぶりだった。初めてこの映画を観た時(中学生くらいだったかな?)、幼い兄弟がただただ可哀相に思えた。涙がいっぱい流れた。それからずっと『火垂るの墓』は涙を流さずには観ることの出来ない映画だった。(わたしは簡単に泣き過ぎなのだ。自分でもちょっとうんざりしちゃうくらい。)――でも、今年は一粒の涙も流れなかった。我慢したわけでもなくて。
 どうしてなんだろう? 歳をとりすぎてしまったのかな、と思う。子供の頃は、幼い兄弟が誰にも助けてもらえないことが哀しくて、戦争は人間らしい優しさを奪うのだと思っていた。それがすごく情け無く感じたし、とても哀しかった。一人ぐらい二人を助けてくれる人が現れてもいいのに、と思った。
 だけど、と今は思う。今だって同じようなことは世界でたくさん起こっているんじゃないか? でもたいていの場合、わたしたちはそれにほとんど注意を払うことはない。自分の生活があるし、そんなの気にし始めたら切りがないからだ。日本にだってホームレスの人はいる。とてもたくさん。でも彼らが近づいてくれば、わたしは気の毒に思うより前に不気味に思う。助けるのではなく、そっと見ないふりをして足早に通り過ぎる。――残念だけど、それが本当のことだし、ごく普通の反応なのだと思う。
 もしそのホームレスが子供だったら? 日本で見かければずいぶん気になるだろうな。児童福祉施設に通報くらいはするかもしれない。じゃあ、旅行中にストリートチルドレンに囲まれたら? きっとすごく怖いだろうな、と私は想像する。その子たちが自分から何か盗んだとしたら、それが生き抜く為に必要な行為だと理解したとしても、ひどく腹を立てるだろうと思う。
 限られた相手に向かって何度か優しくしてあげることは、たぶんそんなに難しいことではない。でも、優しく振る舞うのにはもちろん限界がある。その限界値は、自分の置かれている状況によってずいぶん異なるのだろうと思う。だけど、親のいない二人の幼い兄弟の面倒をみることは、戦争中とは比較にならないほど豊かになった現代においてさえひどく大変なことだ。無尽蔵でない気紛れな優しさは、ほとんど役に立たない。
 両親を失った二人が身を寄せた親戚のおばさんの気持ちが、今ではよく分かる気がする。「二人を苛めたひどいおばさん」という最初に抱いたイメージはもうすっかり消えてしまった。子供を持つ母の目から見て、彼女は聖母のような優しさも悪魔のような冷たさも持たない、ごく普通のおばさんでしかなかった。


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