友人を見て歳を感じる

 昨日はわたしと仲のよい友達の誕生日だった。三十路突入記念。負け犬第一日目である。
ちょうど東京から帰省中だったわたしの大学の同級生を含め、女友達五人で集まった。(柚木にとってはほんとに久しぶりの外出。リアル引き籠もりになりつつあるなぁ。困ったものだ……)。
 東京にいる友達と会うのは一年ぶり。でも年に一回のペースだと、それ程久しぶりだという感じはしない。エリート街道を順調に進んでいる同級生たちの話を聞くのは、ドロップアウト組のわたしの耳には少し痛いけれど。
 三十路の友達は九月からジュネーブに旅立つ。「数年は帰ってこない」決意らしいので、わたしの貴重な平日の茶飲み友達が消えることになる。寂しいし、孤独だ。――バイト代で冬のモンブランまでスキーになんて行けるだろうか?
 恋多き彼女はほっそりとしたなかなかの美人だし、美顔器の効果もあるのか肌だってつやつやしている。でもそんな彼女でさえ笑った時に現れる目尻の皺が歳をとったな、と感じさせる。他の友達だって、やはりそれなりに歳をとった。誰も太ってないし、服装もほとんど変わらない。だけど大学生の時とは違うのだ、当然のことだけれど。
 友達を見ていると、自分もずいぶん歳を感じさせるのだろうな、と思う。わたしは特に老けて見える方ではないと思うけれど、それでも二十代前半だと偽るのは犯罪的所業である。怖ろしくってとても出来そうにない。
 わたしは歳をとるのは悪いことだとは思わない。でも歳をとるペースに、自分のリアルな感覚がうまく着いていかないのだ。十年前の自分と今の自分に、明らかな精神的成長というものを感じることが出来ない。子供の時には、自分が年々成長しているのだということを実感できた。新しいことを知り、去年は出来なかったことが出来るようになった。成長しているのだと信じることは、呼吸するのと同じくらい自然で簡単なことだった。今の息子を見ていると、その急速な成長の凄さがはっきりとわかる。
 大人になってからのわたしは、同じ場所をただぐるぐると回り続けているような気がする。時には渦の中心に足下を吸い込まれていっているような猛烈な不安さえ感じる。子供の頃に想像していた「自信ある大人」像とはかけ離れている。実に情け無い……。
 そんなことを考えていたら、母に「白髪一本みぃーっけ」と喜ばれてしまった。あまりのタイミングに何だか悲しくなってしまう。がっくりである。