9.11総選挙

 かつてポストに聖教新聞赤旗新聞とが一度につっこまれていることもあった、無宗教無党派の典型的人間、柚木です。こんにちは。
 今日は衆議院選挙の投票日です。みなさんもう投票には行かれましたか?(なんか選挙の公報ヘリみたいだな)。柚木はまだです。もちろんこれから行くつもりでおりますが。
 わたしは二十歳で選挙権を得てから、ほとんど全ての選挙で真面目に投票に行っている。正直なところ、支持政党を持たない私にとって毎回投票する先を決定するのは、結構やっかいな仕事である。候補者の実績も性格も何も知らず、特に投票したいと思える候補者もいない、というのが大半なのだ。
 政策を見比べてみたところで、全ての政策に賛成できる政党なんて存在しない。郵政民営化はこっちだけど、年金・福祉政策はあっちだよな……ってな感じである。それに立派な政策を掲げたところで、当選したらあっさり意見を変えましたっていうのでは本当に困る。小政党は政権をとる心配がない分、ずいぶん気前の良いことを言っていたりもするけれど、実現可能性という点では(控えめに言って)かなりの疑問がある。国会のパワーバランスも重要な考慮要素のひとつである。わたしの個人的考えでは、与党が圧倒的数的優位に立つというのは望ましいことではない。
 でも色々考えたところで、神の啓示みたいにピカッと投票すべき相手がひらめく、なんてことはまずない。最悪、ポスターの顔写真とにらめっこして決める羽目になる。「自分の選択に確信を持てないまま投票所までてくてくと歩いていって、何となく投票」というのが情け無いけれどわたしの現状である。
 だから無理矢理投票に行くくらいなら棄権した方がよっぽどマシじゃないか、というのはかなりまっとうな意見である。わたしの大好きな村上春樹さんも何かのエッセイで、「棄権するというのもひとつの意思表示として、立派な選択になるのではないか」というような趣旨のことを書かれていた。(見ながら書いてないので、正確性に欠けます。ごめんなさい)。大抵の場合に投票したい候補者がいないので、春樹さんは棄権という選択をすることになる。今も同じ考えなのかは知らないけれど、ボストンからわざわざ投票したりはしないだろうと思う。
 わたしも考えた上で棄権という選択をする人の気持ちはよくわかる。それは「もっと魅力的な候補者を立てろ!」という有権者からの強烈なメッセージになり得るとも思う。でも正直なところ投票率の低下を議員が真面目に受け取り、政治が少しマシになる、という素敵な事態はとても起こりそうにない。せいぜい投票を呼びかける広報費用が上乗せされるくらいのものではないかと思う。
 棄権という選択肢を消し、ない知恵を絞って最後までうんうんと悩み続けることは、政治と真剣に向きあう貴重な機会になる。もちろんほとんど何も考えずに投票に行く、という人も多いとは思うけれど。それでも「棄権よりは苦渋の投票」の方が若干マシ、というのが私の考えである。投票率が低下すれば、それだけ組織票の強い政党が得をするかと思うと心安らかではないのだ。「無党派の人は寝ていてくれたらいい」ってなもんである。
 それに投票にでも行かなきゃ、選挙の日に延々と続く「選挙特番」が少しも楽しくないからね。