裁判所体験記

 この前、裁判傍聴に行ってきた。ここ半年間足繁く裁判所に通いながら、実は初体験である。
 思い立ったが吉日。たまたま傍聴券を交付するような事件の初公判日だったので、美人の事務員さんにいつもの休憩時間を交代してもらい、外回り(裁判所と弁護士会館巡り)ついでにクジ引きに参加することにした。京都ではそんなに大きな事件は無いので、これもまぁひとつの巡り合いである。
 事件は割に大きく報道されたので知っている人もいるだろうけど、京大アメフト部の集団準強姦事件である。わたしが裁判所についた時には、傍聴券を求める人で駐車場はいっぱいだった。テレビカメラも数台きている。集まった人の数180。これが多いのか少ないのかはよく分からない。「裁」と胸にワッペンを付けた裁判所の職員さんから整理券を受け取って、しばらく待つ。コンピューターで抽選をするんだそうだ。
 倍率は2倍強。当たった人の整理券番号が貼られたホワイトボードを、職員さんがガラガラと駐車場まで引いてくる。なんだか合格発表みたいである。柚木は見事当選。「当たった人はこちらに来てください」と呼ばれて傍聴券をもらう。
 法定内に入るのに、荷物チェックも注意も何もなし。裁判の様子を録音するくらいは雑作もなさそうだ。柚木は善良な市民なので、もちろんそんなことはしない。考えるだけである。「さずが裁判所、人の善意に深い信頼を寄せているのだな」、と感心。傍聴席の3分の1くらいは、報道記者関係で埋まっている。最前列は司法記者用で、わたしの位置からはよく見えなかったのだけど、法廷画家とおぼしき人もいた。
 開廷時間になると傍聴席正面の扉が開き、裁判官らがババーンと登場。記者たちが立ち上がり、みんなそれに倣う。頭を下げ、着席。学校の朝礼みたいな雰囲気。被告人出廷の前には、テレビカメラによる撮影があった。ニュース映像でよくみるあれである。裁判所職員さんが「撮影開始!」と宣言する。「1分経過」「20秒前」……「撮影終了」とまるで試験会場。撮影時間は2分と決まっているようだ。撮影中、裁判官たちは前を向いて静止している。あれもなかなか大変そうだ。撮影が終わるとテレビカメラはガチャガチャと退場。いよいよ被告人の登場である。
 冒頭に行われる人定質問では、被告人3名の現住所(実家に引っ越したらしい)を裁判長が訊く。みんな一斉にメモしている。いたずら電話を掛けたり、ネットで曝したり、嫌がらせの手紙を送りつけたりしようとする人間は、この中には一人もいないのだな、と呑気な傍聴人の柚木はまた感心。検察官により文学的センスの欠片も感じさせない起訴状が長々と朗読された後、罪状認否がある。被告人3名とも「認めます」と答える。すると一斉に記者が法廷の外へ。記者たちは何度も出入りを繰り返す。意外と裁判って落ち着きがないのだ。
 事件自体はそれほど複雑でも興味深くもない。「部屋で女の子をべろべろに酔わせ、正体不明になったのをいいことに、やることをやってしまった」という、ありがちな事件である。もちろん実際それがどの程度よくあることなのかは、平和ぼけした柚木には分からないのだけど。
 ぼんやりと公判を聞きながら、被害にあった女の子たちは「知り合いの男の子が、まさかそんな酷いことをするわけがない」と思っていたのだろうし、加害者となった男の子たちは「部屋に来て、こんなに酔うまで飲んでるんだから、やられても文句なんてないんだろう」と思っていたのじゃないかな、と考えてみる。お互いの甘い期待がぶつかり合うと、悲惨な結末を迎えることも間々あるのだ。
 もちろん被告人3名は、きちんと司法の場で罰せられるべきだと思う。でも、最も重い罰は、おそらくマスメディアによってもたらされたのだ。――そのことについて思うと、何だかちょっと深く考え込んでしまう。