良いお年を

 この研究所では、月に1回お茶会が開かれる。所員の先生たちのお給料から天引きされたお金で、研究所の構成員全員分のお菓子を買い、コーヒーと紅茶を作る。お菓子は秘書の裁量で選ぶ。シュークリームやレーズンサンドやクッキーやなんやかが、予算の許す限り並ぶ。貧乏な学生や柚木にとっては、大変楽しみな時間なのだ。
 他の秘書さんたちはこの時期研究会の準備で忙しいらしく、「今月はちょっと……」と教授に言葉を濁してみたりしたらしいけれど、今月も無事開かれることになった。給料天引きのお茶会は、なんとしても開かれなくてはいけないのだ。よかったよかった。
 今回は小さなチーズケーキとクッキーだった。このお茶会では新しくこの研究所に来た人と、去りゆく人が英語で挨拶をすることになっている。仕事を始めたばかりのわたしに激しいプレッシャーを与えたやつだ。
 お茶会が始まり、わたしと同僚の秘書さんは、人混みの向こうのホワイトボードを見ながらこそこそ話をしていた。ボードには今日挨拶する予定の人の名前が書かれている。お茶会に姿は見えないけれど、彼女の嫌いな外国人研究者が挨拶するかもしれない。わたしも彼女も目が悪いので、目を細めながらじっとボードを睨んで話していた。
 ふとディーンさんがこちらを振り返った。そしてこちらに近付いてくると、「このテーブルにあったチーズケーキはもうみんな無くなっちゃったよ」ごめんね、って感じのことを言った。きっと背中にわたしたちの視線を感じたのに違いない。ディーンさんはプリンストンからの客員教授で、以前来た時にはとてもジェームス・ディーンに似ていたらしい。(だからもちろんディーンというのは本名ではない)。――今はまぁ、面影があるのかどうだかよく分からないけれど。
 違うの、ちょっとホワイトボードを見て(悪口言って)いただけなの、とは言えなかった。それが英語でなくても難しいところだ。ディーンさんは勘違いしたまま「あっちのを取ってきてあげるよ」と親切に言って、奥のテーブルからチーズケーキを取ってわたしたちの手に載せてくれた。「サンキュー」とお礼を言うと、彼は満足そうににっこり微笑んだ。とても紳士なのだ。
 それにしても彼の目に柚木はずいぶんと物欲しそうに映ったのか、しばらくしてからもうひとつチーズケーキを取ってきてくれた。隣にまださっきの彼女もいたのに、わたしがそれほど食いしん坊にみえたのか、としばし悩む。悩んだまま本当は食べたかったのを我慢して、お茶会に参加していない男性職員さんのために持って帰ることにする。自分でこっそり取ってもうひとつ食べるつもりだったのに、なんだかそうもいかなくなってしまった。
 時々教授が出張のお土産にチョコレートをくれたりと、意外に秘書のお菓子ライフは充実している。来年の目標は、とりあえず増加してしまった体重の減少に決定。でも今は、引き出しの中のお菓子を片付けることに専念しなければいけない。コーヒーをごくごく飲み、グラマシーニューヨークのチーズケーキをぱくぱく食べる。
 それでは年末年始、柚木はお義母さんの家でたらふくご馳走を食べてまいります。あずさんもオカダさんも、それから読んでくださったみなさまも、よいお年をお迎えください。そして来年もどうぞよろしく。