袖振り合うも

 いつも朝は同じ電車に乗る。仕事の始まる時間が同じなのだから、まぁ当たり前の事ですね。もちろんそうやって一日を規則正しく行動している人は世の中に多いわけで、柚木には毎日すれ違う「顔だけ知ってる他人さん」が何人かいる。中でも一番印象深いのは、幼稚園に向かうお祖父ちゃん(想像)と男の子である。
 彼らふたりとすれ違うのは、たいてい橋を渡り終え、あと数分で地下鉄の階段を下りれるな、というところ。禿げ上がった頭に黒いサングラスを掛けたお祖父さんは、軽く足を引きずりながら身体を左右に揺らしてゆっくりと歩く。臙脂色の制服を着た男の子は、お祖父さんの前後を好きなように歩いている。しゃがんで何かを見ていたり、お祖父さんのずっと後ろをふてくされたように歩いていたりする。男の子が後ろにいる時、お祖父さんは時々振り返る。でも、あまり急かしたりはしない。ふたりで仲良く手をつないでいるところも見たことはない。朝なのにふたりは帰り道のようにのんびりしていて、男の子はお祖父さんの散歩につき合わされている草臥れた柴犬みたいにみえる。そんな二人の傍らを、わたしはいつもどたばたとみっともなく走り抜ける。あとほんの数分早く家を出れさえすればもっと優雅に駅まで歩くことが出来るのに、それがなかなかうまくはいかない。実に情け無いとは思うのだけれど。
 その日は金曜日で、わたしはゴミを持って階段を降り始めた。ふと今日は本当にゴミの日だったのか疑問が頭を掠めて、踊り場から下をひょいと覗いてみた。集積場にゴミはひとつもない。ゴミの日は昨日じゃないか! 慌てて家に戻り、階段を駆け下りる。ゴミを持ってうろうろした分、いつも以上に時間は差し迫っている。「毎朝走るのは健康にいいのだ」と自分に言い訳しても、やはり苦しいものは苦しい。
 堤防は少し坂道になっている。息が上がって、わたしはだらだらと歩き始めた。いつものお祖父ちゃんと男の子が橋を渡り終えたのが見える。幼稚園の制服を着た男の子が、まだ堤防を歩いているわたしに気付いて立ち止まった。わたしはちらっと手を振ってみる。男の子は少し前を歩いていたお祖父ちゃんに声をかけた。お祖父ちゃんもこちらを振り返る。いつもすれ違う人間がいなくて、彼らもやっぱり気になっていたのだ。お祖父ちゃんはわたしをじっと見つめ、肘を曲げた両手を大きく前後に振り始めた。「走れ!」と口が動く。ほんとに何と言ったのかはipodが耳に刺さっていて聞こえなかったけれど、お祖父ちゃんはそう言ったのに違いない。わたしは苦笑しながら走り始めた。
 ――お陰様で電車には間に合ったのだけれど、これから彼らに挨拶すべきかどうか、ちょっと頭が痛い。(今日は何故か会わなかった)。「あの子はいつも走ってるな」と言われているに違いないと思っていたれど、実際叱咤されちゃうとちょっとどうしていいのか分からなくなっちゃいますね。