小学校緊急連絡網の復活を願う会

 台風4号が日本列島を襲った3連休の真ん中日曜日、息子の通う小学校では夏祭りが予定されていた。激しく雨が降りつける前日土曜日の夕方、わたしはサンダルを履いてとぼとぼ学校へと向かった。テントを立てるお手伝い係だったのだ。
 わたしは小さい頃からこういうお祭り事に参加するのが苦手で、うちの息子もその血を色濃く引いている。親が朝から学校にお手伝いに行き、息子は家で健やかに惰眠を貪る……というのが今年のあるべき我が家の「夏祭り」だった。わたしが休日の早起きを嫌っているのをよくよく知っている息子は、「台風がくるといいね」(被害に遭われた方には申し訳ありません)と言って送り出してくれた。体育館に到着すると、もう皆さん集まって真剣な表情で明日の開催の有無について議論している。
 議論開始から約40分後、中止になればいいなーというわたしの怠け心が影響したわけではなく、子供たちの安全を考えて夏祭りの中止が決定された。やれやれ、と思ったところから本当の問題は始まった。夏祭りが中止であることをどうやって子供たちに連絡するのか、その手段がなかったのだ。学校まで5分もかからない距離なんだから多少連絡漏れがあったっていいじゃないの、と大雑把なわたしは思うのだけれど、どうもそう言うわけにはいかないらしい。台風の風に吹かれて子供が怪我でもしたら大変、というわけなのだ。
 前にも書いたかもしれないけれど、学校の連絡網というのはどうしてなくなってしまったのだろう? 正確にいつから連絡網が作られなくなったのかは分からない。柚木が高校生の頃(もう十数年前になるのですねー)には、名簿業者への売買が問題になりつつも、全校生の名簿が作成され、りっぱにクラスの緊急連絡網が存在した。年に何回かは連絡網が回ってきて、自分達で次の人に電話をかけた。どれほど重要な内容だったのかは覚えていないけれど、意外に連絡網活躍の機会はあったのだ。
 小学生の、特に低学年の間はクラスの連絡網の存在は決定的に重要な役割を果たすというのが、わたしの経験上の感想である。それは緊急の連絡が必要な場合に限られない。たとえば子供が友達の家にお邪魔した時、お礼の電話をかけたいと思う。帰りが遅くなった時、忘れ物をした時、電話で連絡をとりたいと思う。それは昔母が自然に行っていたことで、学校を通して行うほど大仰なものでもない。(だから電話番号を交換していない親には電話出来ない)。だけどそういう些細なことから、親同士のコミュニケーションは始まるんじゃないだろうか。そして親同士が子供の問題を共有することが、子供の安全や成長を見守る上で決定的に重要な役割を果たすはずだ。参観日や学校行事の機会だけを捉えて、親同士の円滑なコミュニケーションを形成せよというのは、少なくともわたしの技量を超えている。
 もちろん学校側が個人情報の流出を懸念していることは理解できるし、電話連絡網や名簿の廃止がおそらくは情報流出の阻止に貢献しているのだと思う。だけどクラスの連絡網が流出することによって失われる情報は、子供の年齢や住所、電話番号に過ぎない。役所で誰もが簡単に入手しうるような情報を守るために失ったものは、計り知れないほど大きいのではないか。
 個人情報の内容にも様々ある。住所や電話番号は犯罪歴や病歴、政党・宗教団体への加入情報等とは、その要保護性には大きな違いがあるはずだ。それを真っ暗闇の中すべてを鍋に放り込んだみたいに何の区別もなく取り扱うのは、何か問題が起こった時に「うちは悪くないんです」とアピールするための過剰な安全策にしか思えない。その気を持ちさえすれば、連絡網への不掲載を望む家庭に個別に対応することもそう難しくはないはずだ。
 激しい雨の降るグラウンドを体育館から眺めつつ、わたしたちは夏祭り中止のポスターが出来上がるのを待っていた。電話で子供達に連絡するのは諦めて、みんなで手分けして掲示板に張って歩くことに決まったのだ。お祭りを楽しみに家を走り出た子供たちがそんなものをちゃんと見るとは思えないけれど、他にうまいやり方も思いつかなかった。
 こんな時こそ緊急の電話連絡網の出番じゃないのか? とわたしは懲りもせずにまた考える。――学校がその必要性を認める日は遙か遠くに霞がかかって見えないのだけれど。
 日曜日の朝は、台風一過のお天気だった。責任者のお母さんの願いむなしく、警報も解除されていた。「暴風雨警報が発令されていれば中止」というのが当初の学校連絡だったのだ。台風の直撃を免れたのを喜んで、一体何人の子供たちがうきうき学校に集まったのかは、朝寝を心行くまで楽しんだわたしの知るところではない。