高原でお嬢さんになり損ねる

京都の湿気った夏を避け、お義父さんお義母さんについて志賀高原へと出かけた。2泊3日限定、柚木は高原のお嬢さんになるのだ。紺色チェックのワンピースを着て白いパラソルをくるくる回し、小鳥の囀りに耳を澄ませながら若草色の草原をお散歩するのだ。──観光バスの狭いシートに押し込まれ、ガイドさんのハイテンションな案内と大声で喋り散らすおばさん達の勢いに眠りを妨げられようとも、そんなことは関係ない。柚木は高原のお嬢さんになるのだ。ワンピースも白いパラソルもサンダルもないけれど、なるといったらなるのだ。
豆腐のように固い決意を胸に出かけた志賀高原で、期待は見事に裏切られた。四人分のソファベットが押し込まれた部屋に親子三人仲良くころがっていると、夏合宿に来た高校生のような賑々しい気分になる。高原の夜は寒いくらいに涼しいけれど、クーラーのない部屋は風通りが悪い。取り囲むあれやこれやが、どうやら静謐を愛するお嬢さんとは相容れない。
 そして高原に広がっているのは草原ではなく湿原だった。パンフレットに映る涼やかな景色は春のものらしく、草茂る夏の湿原は小さなジャングルと化していた。自然保護のため渡された木板の道を、濃い緑の葉が覆い隠している。草木をわって進むと、前日の雨に溜まった露でジーンズはじっとりと濡れ、木道の終わりで靴は泥に汚れた。高原をお散歩しているというより、遠足で山登りに来ているといった方がしっくりくる。熊避けの鐘を叩き、大きな鈴のついた杖を持って歩き回ることになろうとは、思ってもみなかった。
 予想とは大きく違ったけれど、旅行はとても楽しかった。何よりも文句なく涼しかった。それはもう、間違えて半袖シャツばかりを詰め込んで、息子を凍えさせるくらいに涼しかったのだ。