柚木が何時までも親馬鹿から抜け出せない件について

先日、息子さんが13歳になった。めでたい。
子供は小さいうちが可愛いというけれど、分厚い親馬鹿フィルターを通してみれば今でも充分に愛らしい。とはいえ、やはりおちびちゃん達の持つ圧倒的なラブリーさは懐かしく、時々は2歳児に戻ればいいのにと願ったりもする。おんぶに抱っこをもう一度経験したいんである。
しかし時は無情に流れ、今はもう柚木の身長を遥かに凌駕し、ぺらぺらな体ながら一応力瘤だってムキッと出来るようになった。きっとそのうち髭だってモサモサ生えてくるのだ。中学生になってオサレ心も芽生えてきた。つまり、もうピカチュウのビニール筆箱なんか使ってられるか、ウルトラマンのプラスチックコップなんか持っていけるかってことです。制服にシワが寄っていれば気にするし、仲良しの男の子がモテるのが少し羨ましかったりもする。あぁ青春、思春期真っ只中。大変だろうけど、うまく乗り切れるとよいね。
息子さんの成長に伴って新たに生じたチャームポイントというのも、もちろん沢山(親から見れば)ある。重い荷物だって持ってくれるし、高いところのものを取ってくれるし、ご飯だって山盛り食べる。毎夜みんなにうるさがられていたNHKラジオ講座だって、一緒に聞いてくれるようになった。仲間が出来て心強い限りだ。まだ、キソ英語1とはいえ。
それに児童書以外を一緒に楽しめるようになったのも嬉しい。これまでのところ伊坂幸太郎を少しと『五分後の世界』、『鴨川ホルモー』、『しゃばけ』シリーズなどなど。しかし、中でも彼が特別に愛したのは森見登美彦作品なのだ。不思議なことに。だって初めに読んだ『四畳半神話大系』はそれほど分かりやすく面白かった訳じゃないと思うし、それにモリミーの文体は漢字多めの疑古文風で、子供には少しとっつきにくいと思っていたから。
でもまぁ愛してしまったのだ。わたしが春樹さんの本と出会ったのもこの頃だったな、と懐かしく思う。母が図書館で借りたモリミー本を次々と読破した彼は、友達と一緒に「阿呆の大学」に入って変なボロいアパート暮らしをするのが夢らしい。「阿呆の大学は難しいよ。入るにはいっぱい勉強しなきゃ」と言うと、「オレ勉強する」とのお答え。目的は馬鹿馬鹿しいが手段は素晴らしい。モリミー作品にこのような教育的効果があるとは! 迂濶にも全く気付かなかった。ほんとに勉強するかはともかく、親としてはとても感謝。
さて、柚木の目には生まれた時から今まで絶え間なく可愛く映る息子さんですが、これは何時まで続くんでしょう。髭モサモサニキビ面の小汚いおっさんになっても、分厚い親馬鹿フィルターを通すと、そこはかとなくイケメン風に見えてしまいそうです。恐ろしい。これは親としての宿命なんだろうか? ならば粛々と受け入れねばなるまい。