絶対評価って何だ

息子さんの中学は、明日からもう夏休みです。そして8月24日にはもう授業開始。なんだか短いですね。
さて、夏休み前ということで三者懇談というやつに行ってきました。そこでわたしは自分がすごい思い違いをしていたってことに気づいたのです。そしてとても腹が立った。これは個々の先生方に対してではなく、文科省のとっている成績評価システムそのものに対してということです、もちろん。だからこの後に続く親バカなだけのぶちぶちとした文句を読んでも、どうか真剣に腹を立てたりしないでくださいね。
つまるところ、息子さんの成績がわたし個人の予想よりずいぶん悪かったということです。わたしが学生だった頃は、成績というのはほとんどテストの得点によって決まっていた。これは周りの同世代にも訊いて回ったので、たぶん柚木の中学だけが特殊だったってわけじゃないと思う。授業態度や提出物の状況なんかが反映されることはもちろんあったはずだけど、それは無視しても平気なくらいのものだったので、わたしはそれに本当に助けられた。それがわたしの中のいわゆる「絶対評価」ってやつだったわけです。
だけどそれが今は全然まったく、コペルニクス的大転換を遂げた大地のようにぐるりと変わってしまっていたのです。正直目眩がするくらい驚いた。成績は先生が生徒の日頃の授業態度を見て判断する。テストの点っていうのは、場合によってはほとんど無視されてしまうということです。例えば、息子さんの場合。音楽のペーパーテストは2回の平均で85点を越えています。これはわたしの中学校では(実技点を完全に無視した場合)5段階評価で5がもらえていた点数です。でも現時点での息子さんの評価予想は2。これは音楽に対する意欲や鑑賞力に最低評価のCがついているからです。──なんじゃいそりゃ。ちなみに、平均90点を越えている理科でさえ4しかつかない予想なのです。ふーむ。
ここで一応強調しておきたいのは、うちの息子さんが特別に態度の悪い生徒ではないということです。授業や生活態度について先生から注意を受けたりするようなことはないのです。ほんとに。担任の評価は「とても大人しくて」というもの。ほんとは違うって母は知っていますが、先生とはほとんど喋らないそうなんで、そういう評価も当然でしょう。しかし大人しいということは授業中に積極的に手をあげたりもしないということなので、それが意欲評価Cなどをつけられる原因になっているのだろうと分析します。うちに秘めたる熱い勉学への意欲は(あったとしてもということですが)、先生の目には映らないのですから。
なんという恐ろしい評価システムなのでしょう! と親バカなわたくしは考えました。成績表は先生のお心次第、胸先三寸で決められてしまう。制度として、先生の恣意の働く割合があまりに高すぎる。先生に嫌われたら一貫の終わり、逆に好かれてしまえば恐いものなし! これはわたし(息子さん)のような人間にとってはかなりの恐怖システムです。わたしがのほほんと授業中に居眠りや内職を繰り返し、もう学校なんて大嫌いだいと拗ねて遅刻を重ねることが出来たのも、すべてはテストの点さえなんとかしとけばそれほどひどいことにはならないという安心感があったからなのに。(そもそも成績は受験にはまるで影響しなかったし)。だけどそういう牧歌的な時代は遠く過ぎ去ってしまったのだ。高校受験をせざるを得ない以上、先生にとっての良い子を模索することは不可避です。
そんな大人から見た「良い子」を量産して、いったいどうしようってんだい。気色の悪いことこの上ない。と精神の捻れた人間は感じてしまう。なにもわたしは、真面目な生徒さんたちの日頃の努力を評価することに反対しているわけではない。それはもちろんきちんと評価されてしかるべきだと思う。だけど、先生に反抗的な態度をとる生徒が、学校生活に馴染めずにもんもんとしている生徒が、せめて内申書のことなんか気にせずに青春の苦悩の渦に巻き込まれることができるようにしておいて欲しいということなのです。ただ。
ちなみに、今はもうあんまりハイテンションで怒ってはおりません。息子さんには毎授業ごとに1回は手をあげなさいよとか、授業中寝ちゃだめだよとか、提出物はきちんとだしなさいよとか、忘れ物するんじゃないよとか、先生の荷物を持ってあげなさいよとか、笑顔を振り撒きなさいよとか、魂の中核を売り渡さないで済む程度には諸々頑張ってみなさいとの現実的アドバイスを与えることにします。
ではでは、みなさまよい3連休を!