五反田くん

 バニラの香りのする女、柚木です。確かに甘いものはあまり欲しくない気がするんだけれど、昨日は母が買ってきてくれたシュークリームとマンゴームースを食べちゃいました。母の愛をむげに断ることも出来ないしね……。

 えーっと、昨日で村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』を読み終わり、『風の歌を聴け』に始まった「僕」の物語もわたしの中でようやく完結です。
 ふと昨日、わたしが初めて手にした春樹作品は、この『ダンス・ダンス・ダンス』だったんじゃないか? と思った。前に読んだのはたぶん中学二年生くらいの時で、しかも春樹作品にしてはひどく珍しい(というか他にない)ことなのだけど、上巻を読んだままほったらかしにしていた。何故か? という疑問に対する答えはすごく簡単である。家にあるはずの下巻がなかったからだ。それに当時のわたしには『ダンス・ダンス・ダンス』の面白さがちっとも分からなかった。だから下巻の在処を熱心に探さなかったし、買ってまで読もうなんて思いもしなかった。「つまらない」とわたしはそれを勧めてくれた父に言った。「だって、どうしてホテルが急に変な空間(羊男のいる場所)に繋がっていなくちゃいけないわけ?」わたしは、うまい具合に話を逸らされてしまった気がしたのだ。何でもありだなんて、話を真正面から解決することを放棄して逃げているのだ、という風に感じた。なんだか不満のたまる話だと思った。どうもすっきりしない。魔法使いやドラゴンが出てくる話は平気で読んでいたのだから、ずいぶんと矛盾した感想を抱いたものだと呆れるけれど、その時は大人の小説とファンタジーとの間には厳然たる区別がある、と単純に信じていたのだろうと思う。
 だけど十数年ぶりに再会した『ダンス・ダンス・ダンス』はすごく面白かった。(図書館で村上春樹全集を借りたのだ。図書館てほんとに素敵な場所だ)。中学生のわたしなんて何も分かっていなかったんだな(今だって大して変わらないのかもしれないけど)、としみじみ思う。

ダンス・ダンス・ダンス』の中に、五反田くんという「僕」の中学生時代の同級生が出てくる。彼はハンサムで、スポーツ万能で、清潔で、足が長くて……といった判で押したような好青年の役ばかりを演じている売れっ子の俳優さんである。女の子はみんな彼に失神しそうなくらい憧れている。現実の世界でも、スクリーンの中でも。でも、彼は少しも幸せではない――というのは、今は全然関係ない。わたしはただ、「頭の中にイメージした五反田くんの姿が、最初から最後までずっと谷原章介だった」と言いたいだけなのだから。彼ほど五反田くんの役にぴったりはまる俳優さんなんて、他にはちょっと想像出来ない。

ダンス・ダンス・ダンス』を読むとピナ・コラーダを飲んでみたくなるだけじゃなくて、懐かしい時代を思い出すという効用もあるみたいだ。今はみんなカー・ステレオにカッセットテープを突っ込む代わりにCDを挿すし、ダンキンドーナツはもう日本から撤退してしまった……。それから懐かしのシェーキーズ! 今も何処かにあるのだろうか? ――今ならビールを飲みながら焼きたてのピッツァが食べられるのにな。

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)